いよいよもって幻の。。。

以来、私は“伝統”を探し続けているのですが、さっぱりです。「年夜飯」というのは大晦日に食べるもので、2月9日の夜です。こちらでは大晦日といわずに「過年」といいますが、息子たちの家族は、過年は自分たちの家で過ごし、新年が明けてから村に帰ってくるというのです。なぜ?仕事はみんな休みのはずだから、“忙しい”というのはあたりません。このあたりでは、北京や上海などへ行く人はまずいなくて、離石とか、せいぜい太原くらいなので、切符が買えないということもありません。

何人かに聞いてみたのですが、要を得た返事が返ってきません。「寒いから」という人がいたのですが、私の思うところ、これは正解ではないかと。。。

つまり、久しぶりに村に帰っても、普段使ってない部屋に寝泊りするわけだから、いくら何日か前から火を入れたとしても、間違いなく寒いです。水だって十分じゃないし、トイレだって不便です。それに引き換え、離石や太原の集合住宅に住んでいれば、冬はとにかく地域全体(例えば団地とか、オフィスとか、学校とか、すべて一括暖房されます)がまるごとスチーム暖房され、暑いくらいなのです。

そして過年のテレビには、人気タレントが総出演する、華やかなバラエティ番組が目白押しで、それをみんなとても楽しみにしているのです。日本でもかつては、「紅白歌合戦」を、こたつに入ってみかんを食べながら楽しむのが、一年の締めくくりだったはずです。そして「ゆく年くる年」で、永平寺の鐘がご〜〜んと鳴るのを聞いてからふとんに入ったものでした。

あくまで私の想像ですが、寒くて暗い部屋で、14インチくらいのショボい、色あせたテレビの画面を一族寄り集まって眺めるより、暖かい部屋でゆったりとソファーなんかに座って、21インチくらいの画面で親子水入らずで楽しみたい。村には、どうせ一度は帰るんだから、特に過年でなくても。。。

去年はとても賑やかだった秋香ばあちゃんのところならと訪ねてみたのですが、今年は、ばあちゃんが息子のところに行くので、家は留守になるということでした。老親のところに帰ってくるのではなく、親が子どものところに行くケースも多くなったようです。

今日は6日で、学校もすでに休暇に入り、2、3年前までなら、村は帰郷した子どもや孫たちで賑やかでしたが、寒かったこともあり、ひっそりと静まり返っていました。文化広場の集会所の扉も固く閉ざされ、屋根の上の五色の旗がパタパタと震えているばかりです。

それでもあと3日。映画のシーンのように劇的な展開があるのかどうか、私はあきらめることなく、明日も“幻の年夜飯”を求めて村をさまよいます。

この姉弟のお母さんは、ふたりを置いたまま、町の男と出奔してしまい、おばあちゃんが育てています。私にはとても懐いていて、カメラを向けるといつもニコニコ笑ってくれます。出稼ぎに行っているお父さんは帰って来るのでしょうか?

ところで、お姉ちゃんの方はすでに学齢(こちらでは、幼稚園生から小学校入学)に達しているように見えますが、実は大きな問題があって、この子の戸籍は当然村にあり、お父さんが働いている町の小学校には入れないのです。村にはすでに小学校はなく、行くとすれば、おばあちゃんが招賢の小学校まで送り迎えをしなければなりません。ないしは、全寮制の小学校を近隣の町で探さなければならないのですが、寮生活に耐えるにはまだまだ幼な過ぎます。この問題は、いま全中国で出稼ぎ労働者が抱えている問題で、新政権に変わって、何らかの対策が講じられるのではないか、とはいわれています。