お久しぶりです

よんどころない急用ができて帰国していましたが、うつを引きずったままだったので、ブログの更新もできず、人にも会わずに用だけ済ませて戻ってきました。今は太原のホテルです。

この間、バタバタと移動することが多く、またこれまでとはちょっと違った光景もいろいろ目にしたので、この2日の間にどんなことがあり、どんなものを見たのか、つらつら書き連ねてみます。おそらくは、今の中国社会の変貌の一端が、ここからもおわかりいただけるのではないかと思います。

23日の午後に北京空港に到着。外気温-5℃でしたが、それまでの日本はどこに行っても暖房が効きすぎでうんざりしていたので、ピリッと身が引き締まって快適でした。やはり冬は寒くないといけません。ただし、航空機はお客さんが半分くらいしか乗っておらず、しかも多くが中国人のようで、日本語などほとんど耳にしませんでした。在日中国人、留学生、駐在員などが春節を故国で迎えるための帰国でしょう、日本にやってきた観光客らしき姿も見かけませんでした。現在も、フライトは時々間引き運行されているようです。尖閣問題が、旅行業界、航空機業界に与えた影響は計り知れないです。

国際線の3号ターミナルを出て、外で待っていた北京駅行きのリムジンバスに乗ったのですが、お客さんはほんの10人ほど。ところが、国内線の2号ターミナルに着くとお客さんがドドッと乗り込んできて一気に満席。これまでだと、日本からの到着便があれば、それだけで満席になり、2号ターミナルには寄らずに出発するのが通例ですが、それほどに少ないのです。

常宿の北京YHに宿をとり、まずは太原までの切符を買いに北京駅に行きました。すでに春節(今年は2月10日)が近づいているので、けっこう混んでいるのでは?うまく買えるかしら?と心配しながら出かけたのですが、意に反してとても空いていたのです。駅前広場には臨時の切符売り場が設営されていましたが、ブースはこれまでと比べるとずっと少なく、半分くらいに減っていました。お客さんもぱらぱら。でも、売り場の電光掲示板を見ると、今週末から先の切符はほぼ売り切れています。よく考えてみたら、去年から、ネットで切符が買えるようになったのです。

それまでは今の季節、切符売り場は、故郷行きの(路線によっては)プラチナ切符を求める人の列がうねうねととぐろ巻くヘビの如くに広場を埋め尽くし、どこが列の後尾で、いつになったら売り場までたどり着けるのか、現金を握りしめた必死の形相の集団を前に、決して私たち“シロウト”が近づけるような場ではなかったのです。ただし、このネット販売には大きな問題があって、それに関しては去年ここにもアップしたと思うのですが、ネットなどやっていない、出稼ぎ農民工たちにとっては、いよいよもって、切符を入手することが困難になってしまったのです。中国のクレジットカードを持っていない私も買うことはできません。その上に、“ヤミ”という裏技もきつくなっているのです。

2年ほど前から、列車の切符を購入するときには身分証明書が必要になりました。たった一駅、100円にも満たない切符すらです。私たち外国人はパスポートを提示しなければならず、それらの番号は切符に1枚1枚打ち込まれるのです(写真左下、ちょっと隠しましたが、私のパスポートナンバー。真ん中の赤いスタンプが最初の検札印、その上のペンのあとは、車内検札のしるしです)。ですから、だれがいつ何時に、どこからどこまで移動したかは、すべてコンピューターに記憶されるわけです。ちなみに、中国の列車はすべて座席指定です(「無席」という立ち席券も一定数販売され、お金がない人は席があってもこれを買います)。

たしかに、おかげで“黒票”と呼ばれる不正切符はなくなりました。もちろん買占めはできません。以前は、稼ぎ時の春節前には、ダフ切符や偽切符が横行して、取締官とのいたちごっこだったのです。またこんなこともフツーでした。切符のキャンセルには専門の窓口があって、既定のキャンセル料を払うのですが、そこで待ち構えていて、そのキャンセル料よりもややいい値段で買い上げ、それを切符売り場まで持って行って、そこに並んでいる人たちに声をかけて売るのです。人気切符にはもちろんプレミアムがつきます。これは“業者”でなくても、普通の人でもやっていました。キャンセル料を払うよりは、ほんの少しでも儲けになるからです。試に私も一度やってみたことがありますが、切符を胸の前に持ってウロウロしていればすぐに声がかかります。私はもちろん額面通りの金額で譲ってあげましたが。

で、私の太原行きの切符でしたが、問題なく買えました。つい1か月ほど前から、北京→太原間に「高鉄」というG列車が走るようになり、これまでの特急と並んで本数が増えたからです。しかも、料金が194元と高く、まだまだ金持ちしか乗らない列車だからです。私が最初の頃に乗っていた、いわば急行列車だと6、7時間かかっていたのですが、その後特急のD列車が走るようになって、これは4時間半ほど。それがG列車では3時間を切り、一番速いものは2時間半で着くようになりました。しかし瞠目すべきことは、この間、わずか5年ほどしかかかっていないということです。

乗り心地は、日本の新幹線には及びませんが、車内は広々としていて、各車両に乗務員(みなスチュワーデスのようにスラリとした美形)がいるので、サービスは行き届いていました。以前D列車が走り始めた頃には、ひとりひとりにチベット産のおいしい飲料水を配っていたのですが、それはなくなったようです。

このものものしい写真が、駅構内への入場口です。つまり、切符がないと構内に入れないのです。ここで切符と身分証明書を提示しなければなりません。その後すぐに、荷物検査。飛行場と同じようにX線を通し、場合によってはボディチェックもあります。

中国では、列車によって待合室が別々になっていて、北京西駅には、たしか12カ所の待合室があります。ひとつでも日本の待合室より巨大なことこの上ないです。そして、この待合室に入るのにも、またまた切符と身分証を提示しなければなりません。しかも、列車が出る1時間ほど前くらいじゃないと入れてくれません。もちろん当該列車の改札口を通るときには見せなければならないし、当該車両に乗り込むときにも必要です(各車両乗車口にひとりづつ乗務員がいて、他の号車からは乗せてくれない)。その上に時々車内検札があって、つまり合計4回、5回も身分証ナンバー入りの切符を提示しなければならないのです。“不審者”は徹底して排除する方針なのです。そもそも入場券を買うのにもいろんな制約があって、自由には買えません。

とにかく、無事に切符が購入できたので、買い物に出かけました。昨年、駅前のビルの地下に大きなスーパーマーケットができ、太原とは比べ物にならない豊富な物品が揃っているのです。生鮮食品、鮮魚から輸入食品、高級ワインまで並んでいます。居住者の少ない駅前なので、近くの団地に向け、何台もの無料送迎バスを走らせているようで、いつ行ってもお客さんで賑わっています。

そこで私はこんなものを見つけました。近頃大都会の(高級)スーパーで時々見かけるようになりました。「寿司」と書いて「ショースー」と発音します。これは1パックが200円ほど。閉店の時間が迫っていたので、2パックで1パックのお値段でした。ちなみに日本ではこういうとき、1つを30%引きとか50%引きで売るわけですが、こちらでは2つをまとめて1つ分の料金で売るという値引きの仕方をします。この方が商品は早くなくなるわけで、合理的だと思うのですが。今回は時間がなくて、日本では一度も回転寿司に行けなかったので、さっそくこれを食してみることにしました。

このブースに出している店は、「日式」を売り物にしているようで、他にもポテトサラダや漬物やおにぎりなどが並んでいました。日本食=健康食の波は、じわじわと一般庶民の中にも浸透しつつあるという感がしますが、如何せん、高いです。お味の方は、思った以上に日本の味に近く、おそらくは生産現場に日本人スタッフがいるのではないかと思われるものでしたが、問題は米、ですね。あの水分の多い、もちもちとした日本の米にはまだまだ遠いなぁと思いました。ワサビ、しょうゆは大連製。

酒もこういうものを見つけました。もち米の酒です。湖北省のものでしたが、白酒(雑穀焼酎)の著名生産地である山西省ではまず手に入らないものです。きっとこんなのは甘くて飲めないんでしょう。

さて翌日、用事があって安華橋というところまで出かけました。朝陽区という北の方にあるので、けっこう不便ではないかと思っていたのですが、何のことはない、地下鉄が開通していたのです。この地下鉄の開通速度というのが異常としかいえないほどに速くて、そもそも私が北京で暮らしていた最初の頃は(10年ほど前)、たしかまだ走っていなかったはずなのに、途中でまずかつての北京城の外堀にそって環状線ができ、ついで、天安門を通る東西の路線が通って(つまり、山手線と中央線のようなもの)数年後に北京オリンピック。そのころに一気に路線が増えて、最近は私が北京に来るたびに新しいものが開通していて、現在は15路線になっているのです。この調子だと、万里の長城の麓まで開通させるつもりなのかも知れません。しかし乗っていても恐ろしいです。中国の“手抜き”と日本の“老朽化”。インフラの危険は日常世界に満ち満ちていますね。

で、この地下鉄に乗るのにも、いちいち荷物検査があって、お馴染みのX線のベルトコンベアを通さなければなりません。私のように、荷物を背中に担ぎ、バッグを肩からかけているような人間にとっては、これがとても面倒でまったくうんざりします。で、今回私は背負っていたザックのポケットにペットボトルの水を突っ込んでいたのですが、あろうことか呼び止められて、「一口飲んでみてくれ」といわれたのです。もうブチ切れそうになりましたが、ロクな結果にならないことは目に見えているので、ぐっと我慢して冷え切った水をごくりと飲み込みました。いったいこの国は、いつからこんなに“危険な国”になったのでしょう。

安華橋で用事を済ませて、そのまま地下鉄で中関村へ行ってきました。中国IT産業のメッカといわれている街です。かつて北京大、清華大などの若き精鋭たちが集まって先端技術を競い合った平屋バラック造りの、中関「村」の姿を私はよく記憶しているので、北京の中でも特に思いの強いところです。そしてここでもある変化を目撃しました。

中関村に最初にできたIT雑居ビルは「海龍大厦」といって今も健在でした(思えばたかだか10年くらいなので、当然といえば当然でしょうね)。ところが、かつては1階の1等地に店を構えていたのは、SONYでありCANONであったわけですが、今回はそれがLenovoSAMSUNGに席を譲っていたのです。栄枯盛衰は世の定め時の流れ。ただし、そのスパンのあまりの短さに愕然とする思いで宿に戻りました。

*明日早いので、途中ですが。しょうもない写真ばかりですみません。