劇台 その9(落成!)

12月3日。裏山に登って見ると、夕闇迫る中、文化広場はまさに“威容”ともいえる姿で眼前に迫ってきます。工事もいよいよ大詰めを迎えたようです。

集会所の2階には手すりも取り付けられ(確かにないとアブナイ)、こんな立派な、マンション仕様の扉も付けられました。

12月5日。朝起きたら、最後まで残っていた泊まり込みのふたりのおっちゃんたちの姿も消えていて、なんだかとても寂しい気持ちになってしまいました。馬羅塔という、磧口の近くの村なので、DVDが焼けたら一度顔を見に行こうと思っています。

どのような状態になったら“完成”といえるのかイマイチわからないのですが、とにかく、工人たちはすべて去り、コンクリートミキサーなど、若干の工事機械もすべて姿を消しました。

日本ならば、これだけのものを造れば、さしずめ“落成式”でも行われるのでしょうが、そういったものは何もありません。爆竹でも鳴らすのかと聞いてもそれもなし。でもとにかく、文化広場は完成したもようです。。。

ところで、おっちゃんたちが泊まっていた教室の片隅にふとこんなものが目に止まりました。「製粉機」です。これら旧賀家湾小学校の教室は、これからは文化広場の一角を担って、大豆やとうもろこしやキビやコーリャンなどの製粉所として利用されるようです。

「あぁ、そうなんだ」と思いました。これまで村人たちは大きな石臼をふたりで挽いて粉にしていました。少しばかり面倒ではあるけれど、みんなでおしゃべりをしながら、100年も200年も使われてきた石臼をゴロゴロ廻し、キビの穂で作った箒で粉を寄せ、柳で作ったざるに入れて持ち帰っては庭に干して、それから料理に使いました。石挽の粉は機械よりもずっとおいしいのです。でもこれからはそういった光景は徐々に見られなくなるのでしょう。文化広場の製粉所で、雨の日も風の日も雪の日でも、あっという間にできてしまうのですから。

もちろんこのことを批判するつもりはぜんぜんありません。私たちもまた、こうやって順番に“古い文化”をかなたに押しやりながら、“新しい文化”を受け入れ、長い長い歴史をはぐくんできたのですから。「賀家湾文化広場」がこの先どんな文化をはぐくんでゆくのか、私があとどれだけここに居られるかわからないけれど、ビデオカメラ片手に見守ってゆきたいと思っています。