“国境の町”のミニレポート

18日のフライトに乗ったのですが、まだ村には帰り着いていません。普段なら、北京から太原に着いて1泊。そして翌朝早目に出れば、離石経由で、その夜のうちに賀家湾まで行かれます。ところが故あって今回は瀋陽経由で東港に向かい、その後太原を経由して、昨夜ようやく臨県に到着しました。定宿としている工会賓館で、ようやくホッと長旅の荷を下ろしたところです。

東港というのは、丹東市の一番東、つまり鴨緑江黄海に面した一行政区です。ここにある日本語学校とウチの通信制高校との間で留学の話が進んでおり、その細かい打ち合わせのために訪れたのです。毎年ウチの学校の研修旅行で訪問しているので、私はすでに10回以上も行っているおなじみの地ではありますが、冬に行ったのは初めてで、新しい発見もありました。日本のみなさんには知名度のない“国境の町”の、短いレポートをお届けしようと思います。

今回、ほんとうに久しぶりに成田を使ったおかげで、飛行機の窓からこんな風景を目にすることができました。もっぱら中部から西日本の人間なので、富士山を見るのも久しぶりです。

JALとの共同運航便だったので、機内食も豪華。主菜はウナギの蒲焼です。最近の中国便は、まず間違いなくJALANAとの共同便で、機内食JALの方がいいです。

東港で市場を覗いてみたのですが、外は氷点下でも、こんなに緑の野菜が溢れかえっていてびっくり!当然温室栽培なわけですが、この極寒の地でこれだけのものを出荷するのに、いったいどれだけの燃料を必要とするか。資源の豊かさにまずは圧倒されました。

朝鮮族が多い地域なので、キムチなども山積み。町にも朝鮮料理のレストランがたくさんあります。

もちろんのこと、海産物は豊富です。干しエビ、裂きイカ、タコ薫、煮干……、日本でもおなじみの食材が山と積まれ、とっても安いです。東港には、日本企業も随分進出しているようで、きっとみなさんの口にも、知らず知らずのうちに入っているのでは?

今回、私が一番感動したのがこの写真にあるイチゴ。東港はイチゴの産地として有名なんだそうです。今は温室モノの最盛期で、1キロで2〜300円ほど。これがもう、と〜っても甘くて、食べ過ぎたらおなか壊すんじゃないかと思っても、止まらないおいしさ。こんなイチゴは山西に帰ったらもちろん食べられないから、思いっきり食べました。しかも、なんとっ!「今はあんまりおいしくないんだよね。露地モノはもっともっとおいしいよ」といわれて、いったい日本で売っている10倍くらいもする、露地の宝石のようなあのイチゴは、いったい何なんだっ?と考え込んでしまいました。イチゴ好きの方は、ぜひぜひ東港へ!

19日に日本語学校の担当者と会って話をし、午後に校長先生の車でその夜の宿泊先である丹東中心部に向かいました。鴨緑江に沿った、北朝鮮との国境沿いの道です。毎年毎年来るたびに変わっているというか、河口に近い鴨緑江の岸辺がどんどん埋め立てられて、国土が拡張されているのです。こんなひび割れた大地の上に、春には建築工事が始まるみたいですが、いったい地震でも来たらどんな惨事が待ち受けているか、そういったことはあまり考えないみたいですねぇ。私なんか、上に乗ってもいいのかしらと、恐る恐る足を置いたくらいなのに。

私が最初に行った10年前には、国境に鉄条網はなかったのですが、6年ほど前でしたか、テポドンの発射以来、徐々に鉄条網が拡張されて、現在は、2重になっているところもありました。それでも、北朝鮮の民家が、こんな指呼の先にあるのです(鴨緑江の中洲のほとんどは北朝鮮領)。かつては道を通ると、「タバコ、タバコ」といいながら“越境”してくる人がまったく普通にいたと、校長先生のお話です。

一番胸が痛んだのがこの風景。凍りついた鴨緑江の対岸に櫓が2基と、それぞれ小山ができているのが確認できると思いますが、これは銅山だそうです。ここは鴨緑江の中州で、おそらく一般の住民が生活しているところではないでしょうが、この銅山で働いている労働者の数は少なくないはずです。彼らの健康のことなど、露ほども考慮されてはいないでしょうし、大量の廃液が海に垂れ流されているはずです。歴史の教科書に出てくる足尾銅山の惨劇が、かの国では、おそらくは今、日々進行中なのです。