葬儀スナップ

康老人は私が写真を届けた翌々日の明け方亡くなったそうです。

八路軍からそのまま解放後の人民解放軍に残った人ですから、人間関係も多く、3人の息子たちも町で働いていてお金もあるので、葬儀はとても立派なものでした。午後の食事の席に着いたのは、400人を超えたそうです。

葬儀が終わったらそのまま三交に残って取材をすることを考えていたのですが、遺族の方たちはまだいろいろと忙しいし、私も賀家湾の方に用事ができてしまったので、いったん村に戻りました。

三交の葬儀は初めて見ましたが、招賢とはいろいろなところで違いがありました。いずれきちんと整理しておこうと思っています。

実はいま、私は今月の23日から始まる、ウチの学校の研修旅行の準備でものすごく忙しいので、写真のみのご紹介で。

葬儀の始まりを告げるラッパ。

招賢や磧口では、故人のひ孫は紅い帽子を被りますが、ここではこんな感じ。

こんな看板みたいなものも、招賢にはありません。

紅いたすきは、結婚したばかりであることを意味します。招賢では、婚約者がします。

「哭」という儀礼も、ここではずーっと、ほとんど葬儀の間中続けられました。

右側に座っているのが、故人の連れ合い。まったくの普段着で、これは招賢も同じ。

真夜中に、棺の前で最後の食事。これも招賢はなし。

男たちがいっせいに走り出すので、うまく撮れませんでしたが、霊布を拉いた人は30人くらいいたそうです。ここでは「公鶏」(雄鶏)がいませんでした。

こんな坊やって、昔よくいましたよね。なんか郷愁を誘う顔立ちですね。

埋葬が終わって。子どもたちの後方、山のてっぺんに見えるのは、晋劇をやるための舞台。かつて日本軍のトーチカがあったところです。

(9月5日)