北京だよ、おっかさん。

昨夜8時頃、北京に到着しました。日本から友人がやってきたので、3月末に刊行された『黄土地上来了日本人−中国山西省 三光政策村的記憶』(黄色い大地に日本人がやって来た−中国山西省 三光政策の村の記憶)を持ってきてもらったのです。322Pあるため、一冊がかなり重いのに、それを20冊も担いできてくれました。ほんとうに感謝感謝です。これで、6月の予定が立ちました。一日も早く手渡したい人(つまり、そろそろ……)が何人かいるのです。

新しくできた呂梁駅(離石にある)から出る、ウルムチ発北京西行きの特急列車の切符は10日前から売り出されるため、24日の切符を、私はすでに早くから入手していました。しかし、高老人の埋葬が24日に決まったため、21日にもう一度駅まで行くと、意外なことに25日の切符が買えたのです。考えてみれば1年でもっとも閑散な時期ではあります。

席は確保しているのだから最後に乗ればいいと、のんびり構えて、入ってくる列車の写真なんか撮っていたら、なんと、車両の中には人がいっぱいで乗車することすらできず、駅員に後ろから押してもらってようやく乗り込んだのです。しかも、乗り込んだはいいけれど、「15車 77号」という自分の席までたどり着くことができず、1時間以上立ちっぱなしでした。こちらでは「無席券」という切符があって、それが大量に売られていたわけです。
ようやく席までたどりついても、そこに座っていた(無席券の)人が立ち上がって身を移す場所がなく、私のまん前に立ったままなわけで、私は足を自由に伸ばすこともできず、大きなスーツケースを収める場所もなく、おまけに近くの人が、「今日はまだましよ」なんて話しているのを聞いて、あぁやっぱり中国の鉄道に“閑散期”などあり得ない、と納得したのです。

今夜の夜行でとんぼ帰りしようと思っていたのですが、さすがにお疲れで、あす午前中の動車組(新幹線)で帰ることにしました。それで北京駅で(1時間くらい並んで)切符を買って、王府井にある“高級スーパー”に行き、普段は夢に見ることすらない舶来もののチーズや、デンマーク製のクラッカー、高級カットフルーツの盛り合わせ、フランス仕込みの職人が作っているバゲットなどを買って帰り、いま、定宿にしている北京駅前のYHでビール飲みながらこれを書いているところです。

このスーパーはもしかしたら日本人が経営に関わっているのか、日本製品がやたらと多く、味噌醤油はもちろん、出前一丁コアラのマーチや、資生堂のシャンプーとか売っています。惣菜売り場には寿司パックも並んでいます。その中に巨大なボール型おにぎりがあって、側面にサーモンや卵焼きなどがぺたぺた貼りついている、たぶん寿司めしを使ったものだと思いますが、派手好きな中国人が考えたメニューでしょうか?

とまれ、毎度のことですが、格差のトップと底辺とを短い間に行き来する間に、私は何度も何度もため息をつきまくるわけですが、今回離石に列車が通るようになって、これまで以上にその時間は短縮され、往復夜行を使えば、北京に泊まらなくても離石までは行き来できるようになりました。

いずれ村人たちも、余裕ができたら“北京見物”にでかけるようになるでしょう。歌に歌われたかつての日本社会と同じように、村を離れた息子や娘たちが、「ほら、ここが故宮」「ここが天安門だよ、おっかさん」と、幼なく貧しかった頃の村の暮らしを思い返しながら、老いた父母の手を引く姿が巷に溢れることになるでしょう。

(5月26日)

*上の呂梁駅の写真に、何か足りないものがあると思いませんか?