じいちゃんのために最後にできること

じいちゃんは7、8年前に賀家湾に引っ越してきた人で、もともとはここから歩いて1時間くらいの大長という村の出身です。なぜ引っ越してきたのかとか、家族はどうなっているのかということは、これまで一度も聞いたことがありませんでした。とにかくまったく言葉が通じなかったからです。ただ、いつ顔を合わせてもニコニコニコニコしていて、私には、のんびり一人暮らしを楽しんでいるかのようにすら見えました。

じいちゃんの家は、ちょうど私のところから湾型の浅い谷をはさんで真正面に見えるのですが、その家の崖下を通って招賢に行く道がのびているため、家の前まで行くことはほとんどなく、じいちゃんも村の真ん中あたりに顔を出すことは滅多にありませんでした。今に思えば、以前からの知り合いがいなかったからでしょう。

今日村人から聞いたところによると、じいちゃんは大長で結婚して男の子をひとりもうけて後に離婚し、別れた連れ合いが、その子を伴って賀家湾の人に嫁いだそうです。その後その元妻も元妻の再婚相手も亡くなり、その後に自分の息子が住む賀家湾に引っ越してきたそうです。じいちゃんは再婚していません。

どんな仕事をしていたのかまではわかりませんが、月1000元の年金が入ったということは、国営の大きな工場で働いていたということになります。でもそんな大金を渡していたのに、じいちゃんの暮らしぶりはほんとうに質素を通り越して悲惨で、部屋の中には何もなく、扉すらもベニヤ板で、今回見たら、割れた窓ガラスにもダンボールが立てかけてあるだけでした。まさかすぐ隣の立派なヤオトンに住んでいるのが息子夫婦であるとは、今回初めて知りましたが、なぜ、少なくとも年金に見合う程度の暮らしを要求しなかったのか、幼くして別れた息子に遠慮があったのか、それともそうすることに償いの意味があったのか、それでも償い切れずに自らの身を処さなければならないほどに息子を愛していたのか、彼はいったいどんな苦悩から解放されたくて井戸に身を投げたのか。ただいえることは、今はようやく自由になって、もしかしたらこれでよかったのかも知れないと、私は思い始めています。

昨夜息子がようやく出稼ぎ先の甘粛省から帰ってきたようです。甘粛省というのは、黄河の西側陝西省のまた西、すでにシルクロードに繋がるあたりです。

埋葬は24日に決まったそうです。葬儀も楽隊もなく、ただ穴を掘って埋めるだけだと聞きました。お金がないからではなく、“天寿を全うした”死とはかけ離れて無残だったからです。賀家湾に葬られるのか、大長に葬られるのか、まだ決まらないようですが、別れた連れ合いはすでに再婚相手と賀家湾に合葬されており、じいちゃんは合葬されることはなく、ひとりぽっちで永遠の闇へ還ってゆきます。

私はじいちゃんの親族を誰も知らないので、もしかしたら「帰ってくれ」といわれるかも知れませんが、私はそういわれても、“野辺の送り”についていって、埋葬まで見届けるつもりです。じいちゃんはきっと喜んでくれるはずだという確信があるからです。自己満足に過ぎないといわれるかも知れませんが、私がじいちゃんのために最後にできることはこれだけです。

これを書いている今、すでに0時が近いのに、下の招賢の町から、3日続きの賑やかな音楽が響いています。葬儀もひとつあるようで、少し前には、花火がドンドン打ち上げられていました。賀家湾でも明日の結婚式に向けての、前夜の音楽会が終わったところで、隣に住む薛老師の家族も帰ってきました。明日も黄砂は吹きすさび、それでも農民たちは畑に出て、乾ききった黄色い大地に種を蒔きます。高振徳じいちゃんの噂話が飛び交う時間も、おそらくそんなに長くはないでしょう。

(5月20日