季節はめぐり来るけれど……

李家山は、私が2005年にこの地にやってきて最初に住んだ村です。ロンファの民宿で半年暮らしました。その頃はまだまだ村もにぎやかで、小学校には30人以上の子どもたちがいました。私が出した『記憶にであう』の表紙の左上の写真がそうです。

その辺りから村人の離村に歯止めがかからなくなり、私が行くたびに村の実人口は減少していて、小学校もすでに3年前に閉鎖されました。今回は半年ぶりくらいの訪問でしたが、実際に住んでいるのは、おそらく100人くらいだろうということでした。

初期の頃は、家族で磧口に下り、子どもをそこで学校に通わせ(磧口には中学校もあり)、夫が出稼ぎに出て、年寄りと妻が畑を守るというパターンが多かったのですが、最近は農地を放棄して、離石など都市部に転居してしまうケースも多いようです。もちろんこれは李家山に限ったことではありません。4年前に1年間住んだ、賀家湾の隣村の樊家山小学校には、当時100人の子どもがいたのですが、今年は10人をわったそうです。賀家湾に6人の児童がいるというのは、珍しいケースのうちです。ただし、全員が幼稚園生(こちらでは、小学校が幼稚園を兼ねることが多い)ですから、来年にはいなくなる可能性が強いのです。

この写真に写っているヤオトンで、実際に人が暮らしているのは3軒ほどです。

このとうもろこしが再び大地に還り、みのりの季節を迎えることは、おそらくもうないでしょう。

こんなにきれいな窓の飾りですが、破れた窓紙の一片すら見えないのは、長く人が住んでいない証です。

陳文太老人夫妻が住んでいたヤオトン。ふたりともすでに亡くなりました。“廃墟”というのは、それなりに人の心を打つ美しさを持っているものですが、そこで暮らしていた人の顔を思い浮かべることができるとき、それは美しさよりは寂しさが増すものです。じいちゃんが長いキセルで一服している姿、ばあちゃんが扉を開けて私も招く姿が去来して思わず涙が滲みそうになりました。

人がいなくなっても季節はめぐり、小さな生き物たちは子孫を残すために戻ってきました。ロンファの民宿で。

(5月5日)