流れコスモス

棗の集荷にやってきたおじさんに聞いてみると、今年は去年の30%の収穫で、品質もよくないということでした。旱魃だったのと、収穫期に雨が降ったからです。
で、おじさんにこの棗はどこに行くのか?と聞いてみると、なんと、ハルビンや丹東へ行くというのです。私がつい最近行ってきたところで、知り合いも多いところです。この村の棗が、丹東の□□さんや、ハルビンの○○さんの口に入るのかと思うと、なんだか不思議な縁です。
すると通りがかったじいちゃんが、自分はハルビンに3年間いたことがあるというのです。彼は70歳で、中華人民共和国が成立してからの兵役です。しかしその頃にもハルビンには一般の日本人がたくさん住んでいたというのです。帰国が遅れた満蒙開拓団の人たちでしょうか?後日“通訳”を連れて、もう一度くわしい話を聞いてみたいと思います。

今年はウチの棗もこれくらい。ウチの庭の樹はぜんぜんダメで、これは村人からもらったものと、拾ったもの。道を歩けば、いたるところ落ちてますから、なつめの散歩のたびに少しずつ増えてゆくのです。

コスモスは10本しかありませんが、無事に花開きました。やっぱり種から育てたものは特別に愛着があって、1日に何十回と見ていても飽きません。

このハチは前に写したのときっと同じハチだと思います。羽が少し伸びたでしょ?

種を買ったとき、袋に「珍しい八重咲きです」と書いてありましたが、八重は1本だけでした。
種が大量にとれますが、来年はいったいどこで咲くのだろう(来年はこのヤオトンにはいられないはず)?無事に咲いてくれるだろうか?と、流れ者の私が、流れコスモスの身を案じています。

(10月12日)