農暦立秋

「暦の上では○○だけれども、‥‥である」という言い方を日本ではよくしますね。つまり、暦と実際の季節とが合致していないということでしょう。「立秋を過ぎてもまだまだ暑い日が続いています」、といった具合に。この暦(農暦)は中国から輸入されたものですが、中国のどのあたりで“発明”されたものなんでしょうか?中国も南北東西によって季節の巡りは大きく違いますから。しかし、もしかしたら、この黄河の畔あたりで作られたものではないかしら?と思えるほど、この地では暦と季節が一体化しているのです。

14日、ようやく晴れました。私が村に戻って初めての青空と強い陽射しです。ふとんやらタオルやらすべてのものを干しました。なつめの寝床の豆ガラも、ネズミが這っていた可能性が高いので、全部外に出して燃やし、新しいのを敷きました。鍋や食器も一度日光消毒です。故障していたバイクも村の人に直してもらいました。やはり天気がいいといろいろ仕事がはかどります。

さて、1ヵ月空けていた間にウチの庭はどうなっていたかというと、モモイロタンポポは跡形もなく消えうせ、わずかに白い綿毛のかたまりがいくつか残っているだけでした。青々と幼葉を繁らせていたレタスは当然のことながら枯れはて、じゃがいもの葉っぱも完全に消滅。4本あったトマトの苗は、それでも小さな実をいくつかつけて頑張っていました。出るときに根元を豆ガラでマルチングしておいたのがよかったのでしょう。最も、食べられるようになるまで、赤く実ってくれるかどうかは定かでありません。ニラは陽射しの強い場所にありましたがそのまま残っていました。ネギは地上部は数本のみ。庭に1本だけある棗の古木は、ほぼ小さな青い実を落としてしまっていました。そうやって“母体”を守ったんだなぁと思うと、それもまた自然の摂理、樹木の腹を撫でてあげたい気分になります。

一番気になっていたのは、丹精をこめていたコスモスだったのですが、半分は枯死、半日陰に植えてあった半分はなんとか息を吹き返しそうです。帰ってから毎日面倒を見たおかげで、緑の葉っぱが戻ってきたので、たとえどんな小さなものでも、花開いてほしいものです。大家さんの代からあった松葉ボタンの芽がちょっとずつ成長してきて、これもいくつかの花を咲かせるでしょう。ちなみに、村で時々見かける園芸植物というのは、この松葉ボタンくらいです。

それから新来のお客さんを発見しました。夜中に庭でタバコを吸っていると、なんだか背中でザワザワという音がします。その時はあまり気にもかけなかったのですが、翌日見てみると、なんと、ヤオトンの壁の中に、足長バチが巣をかけていたのです。けっこう立派な巣です。今回初めて知ったのですが、彼らは夜通しで働くんですね。少なくとも、夜中の12時、1時という時間帯は、ザワザワゴソゴソやっています。いったい何をしているのでしょうか?部屋を作ってるんでしょうかね。これがだんだん大きくなるのも楽しみです。

で、最初の話ですが、今年は新暦の8月7日が立秋でした。ちょうど立秋の夜に雨が降ったわけですが、雨が上がってからというもの、季節はすっかり秋に変わっていたのです。日中の陽射しはまだまだ強烈ですが、40℃を振り切るなどということはありません。空行く雲の形も変わりました。新月の夜、天の川がさん然と輝いているのにハッとさせられました。夜半には虫の音が聞こえてきます。長い夏休みで、老人たちのもとに帰ってきていた子どもたちの姿も見なくなりました。何より、夜になって部屋の外に出てみると、思わず半袖の腕をさするような気温になっているのです。つまり、部屋は20℃で一定しているので、それ以下になったということです。なんて季節は正直なんでしょう。この地では、新暦の8月7日、つまり農暦立秋から秋が立ったのです。

(8月17日)