ところが、降ったのです。

私が村に帰った6日も、翌7日もずっと曇り空でした。それでも雨雲という感じではなかったので、まさか降るとは思っていなかったのですが、7日の夜半から突然ただならぬ雨音が窓を打ち、翌朝庭のバケツを見てみると、どうやら10ミリくらいの降水量があったようなのです。10ミリというのはかなりの量です。物置の波板の下に置いてある甕にもかなりの泥水が溜まっていました。これは、しばらくすれば泥が沈殿して洗濯に使えます。ウチはそうでもないのですが、村人たちは雨水を有効に溜めるように、波板と樋を使って大きな甕に溜まるようにうまく工夫しています。すぐにぼうふらが湧くのですが、私がいた前の前の大家さんはこの水を炊事にも使っていました。

きっと水道の水も出てるんじゃないかと思って行ってみると、やっぱり長蛇の如きバケツの列。降ればすぐに出るという、実に単純な構造をしているのです。ただし、チョロチョロ出るだけなので、バケツ一ついっぱいにするのに10分以上かかります。そこでヒマな村人たちは、井戸端会議ならぬ水道端会議に時間を潰すのですが、とてもそれに付き合ってはいられない私は、バケツを置いたまま部屋に戻ります。2、3時間して行ってみると、だいたい誰かがいっぱいにしておいてくれます。私のバケツは、水色の極々フツーの日本と同じプラスチックバケツですが、村でこれを使っているのは私ひとりで、よく目立つから、気を利かして誰かがサービスしてくれるのです。

では村人はどんなバケツを使っているかというと、一番多いのは、ブリキ製の円筒形のバケツです。井戸から水を汲むためにはこれでないと汲めません。まずある程度の重さがないと井戸の水面から水の中にバケツを潜らせることができないし、10mはある、なんていうんでしょう、狭い通路(?)を引き上げるには円筒形が適しているのです。

しかしこのバケツはやや重いのと、本来の用途からしても、大型のものはありません。それで最近急に流行ってきているのが、工事現場で使われる接着剤やら塗料などが入っていたプラスチックの大きめの容器です。これなら軽くて丈夫です。私がまだ北京に住んでいた頃は、春節ともなると、出稼ぎ労働者たちが、必ずといっていいほど、このプラスチック容器を両手にぶら下げて故郷へ帰る姿が見られ、何に使うんだろうと思ったものでした。この大きめのバケツに水をいっぱいにして、村人たちは天秤棒で2つ担ぎます。私は小さなバケツひとつで精一杯で、なぜ担がないんだと、いつも不思議がられるのですが、確かにバランスよく運べば、私の3倍以上の水が一度に運べるわけです。もちろん、私が担げば半分はこぼれますね。

でもとにかく、10回ほど往復して、なんとか甕はいっぱいにしました。でもウチの甕はせいぜい2週間分くらいしか貯蔵できません。他の家では3つも4つも大きな甕を用意しているのですが、この甕は新しく買いたくても、手に入れるのは大変なのです。そもそも甕は100年前のものでもなんら支障なく使えるわけで、日常的に売買されているものではありません。先祖代々使い続ける財産のひとつなのです。では現在はもう作ってないかというとそんなことはなくて、実は私が今住んでいる招賢鎮というのは、甕の生産地として有名なところなのです。賀家湾にはありませんが、バスに乗っていても、近隣の村々で甕を焼く窯をよく見かけます。最近はレンガを焼いている窯も多いようですが、甕も酒や酢などの醸造工場へ出荷されるのだそうです。山西省黒酢の生産地として全国的に有名なところですし、焼酎の産地でもあります。

ということで、甕の話になってしまいましたが、続きはまた。写真はいずれも以前に撮ったものです。

今日のなつめ。私が長く家を空けて帰ってきてからの数日の間、なつめは私の傍を離れようとしません。また置いておかれるのではないかと不安なのです。フト気配を感じて振り返ると、こんな感じでじっと私を見ていて、ほんとうにドキッとさせられます。

(8月9日)