水のある暮らし

しばらく村を留守にして帰ってみたら、驚いたことに、共同水道がひかれていたのです。工事そのものはずいぶん前から断続的にやっていたのですが、ようやく通水したようです。村長さんの家の横と、小学校の隣と、もうちょっとはずれたところと3ヵ所ありました。

こういった簡易水道は、実はあちこちの村にあるのですが、きちんと機能しているものはほんとうに少なくて、土が詰まったり水涸れで放置された施設も少なくありません。水道といっても、地下水脈を掘り当てたものではなく、やはり天水を大きなタンクに溜めたものですから、基本的に家庭の井戸と同じで、使い切れば出なくなります。

今のところは立派に役に立っているようですが、それでもしょっちゅう断水しています。いつまでもつかはわかりません。

今の時期は、冬場で水が涸れたうえに、作付けで一番水が欲しいときなので、もちろん村人たちは大喜び。毎日せっせと水を汲んでは、自分の庭の畑にじゃんじゃん水をやっています。山の畑にも、かぼちゃやトマトの苗などには水桶を担いでいってあげているようです。これまではそんな“贅沢”はできなかったのですから、今年は豊作間違いなしでしょう。この先2、3度大雨が降れば、自分の庭の井戸も使えるようになるので、当分は水の心配から解放されたようです。しかし、来年のことはわかりません。

ただしこの水というのが、黄土混じりの“黄色い水”で、時にはバケツの底がまったく見えないくらい濁っているので、そのままでは炊事どころか、洗濯にも使えません。甕に溜めて黄土が沈殿するのを待って使うのですが、この沈殿にものすごく時間がかかるのです。普通の砂や土なら、だいたい一晩放置しておけば、バケツの水はとりあえず透明になると思うのですが、黄土というのは実に粒子が細かくて、なんとっ!甕の上澄みが透明になるまで10日くらいかかるのです!私もこれにはびっくりしました。しかもザバッと汲み出すと、その振動でまたまた底の土がもわぁ〜っと上がってきてしまうのです。

以前、大阪のある会社から、ポリグルという水質浄化剤をいただいて、それを入れてかき混ぜると固形物質が凝固して沈殿するので、上澄みをすくって使うという方法を教わったのですが、家庭の井戸水には役立ったけれど、この水道水には、ほとんど効果がないのです。固まらないのです。それほどに細かい粒子ということなのでしょう。

それで今は、大きな甕にまず沈殿させて、その上澄みをそっとすくって、別の甕に移し、それを煮沸して使っています。

大事に大事に使わなければ、と私は思うのですが、村人たちはもう“湯水のように”乱用しているので、私も負けじと“郷に従って”、あちこちの甕やらバケツやら洗面器やらにどんどん溜め込んでいます(しかし不思議なもので、しっかり溜め込むとあまり使いたくなくなりますね、もったいなくて)。もう入れ物がなくなりました。大きな甕がもうひとつかふたつ欲しいです。

おかげで洗濯や洗髪もわりあい自由にできるようになったし、なつめも洗ってやることができるようになりました。顔も1日2回洗っています。庭の隅にある、ネコの額ならぬ、なつめのお尻程度の畑に、チンゲンサイやレタスを蒔き、トマトとネギを植えて、毎日せっせと水をやっています。

“水のある暮らし”って、ほんといいですね。

今日のなつめ;緑の首輪はノミよけ。効果あるみたいですよ。

(5月6日)