陳在明老人の話

10日に陳在明老人の葬儀があったので行ってきました。老人を取材したのはもう3年も前になりますが、とりわけ愛煙家だったのでしょう、私があげた日本タバコをとても喜んでくれたことをよく覚えています。彼の話も、正史にひとつひとつ残る事件ではありませんが、こういった無数の出来事の集合体として、そんなに遠くない昔、この村でも“戦争があった”のだということに心が痛みますが、いまはとても静かで“平和”な村です。老人の冥福を祈るとともに、取材した内容の一部をご紹介します。

陳在明老人の話

この村では陳嘉華という人が殺された。あれは、日本人が最初に来たときで、彼は気が小さくて、谷のくぼみに隠れていた。日本人が出て来いといったが彼は出なかった。日本人は中に入って行って彼の身体にガソリンをかけて焼き殺した。多分日本人は彼が八路軍に違いないと思ったのだろうが、大きな問題があって、当時は誰も彼らの言葉を聞き分けることなどできなかった。

それから馮家会のひとりは、冬の雪が降った日に離石の近くで捉まって、日本人のために大砲を担がされた。寒さのために彼の手足の指は、凍傷ですべて崩れ落ちてしまった。

一度私の父が部屋で眠っていたときに、日本人が入ってきて、壁にかけてあった写真に目を留めた。それは私の兄が軍服を着ている一枚の写真だった。その頃私の兄は、南京の軍官学校で学んでいたからだ。父は形勢が悪いと見てとって、カンから下りて外に出た。日本人は父が逃げたのを見て、追いかけてきて銃の引き金に指をかけ発砲しようとした。丘の上にいた村人が父に「逃げるな。逃げないほうがいい。でないと命を落とす」といったので、父は停まった。日本人は彼を磧口の一軒の宿屋に連れて行った。お互いに言葉がぜんぜんわからなかったから、父は日本人に自分のゴツゴツとささくれ立った手を見せ、彼が農民であって決して八路軍ではないことを証明しようとした。宿の主人は父を知っていて、地面に数個の字を書いて、日本軍の上官に父はいっかいの百姓であると説明した。その後日本人は父に数回水桶を担がせた後に解放した。

警備隊が来ると衣服を略奪したが、それは後で売り払うためだった。当時私の妻の両親は料理人で、離石の店で働いていた。警備隊が私の妻の衣服を奪い離石で売ったとき、義父は娘が嫁いだときに持たせた衣装だということがわかったそうだ。