春節から今日までのこと その3

そういえばこんなこともありました。
17日に山を下りてから、私はずっと磧口古鎮賓館にいるのですが、21日の午前3時頃、「地震が来るから起きろっ!!」と老板にたたき起こされてしまいました。とにかく服を着て外に出て、「いったいどこからそんな情報が入ってきたの?」「役場から?」と聞いてみるのですが、さっぱり要を得ません。それどころかほとんどパニック状態になっていて、あちこちケータイをかけまくってるのです。

ところで、古鎮賓館はつい最近ワンバ(ネット屋)を始めたのですが、春節休暇で戻ってきている若者で、その時間帯も30台ある席はすべて埋まっていました。都市部では固く禁じられている終夜営業をしているのです。室内でもみんなわいわい騒いでいました。モニターを見せてもらうと、そこにはもう「太原では町中がパニックに陥っている」とか「どこそこでは住民がすでに避難を開始した」などなど、危機感をあおる情報が垂れ流し状態でした。

こういうのはあまり信用しない私は、いちおう最貴重品と懐中電灯だけ枕元において、また寝てしまいましたが、後で聞いたところによると、離石でも深夜の路上に人があふれたそうです。

そしてその日の夕方、思っていた通り、私のケータイに、山西省地震局からメールが入りました。「“地震が来る”などというデマを信じることなく、正常な生活を保持し、生産秩序を維持するように。省政府だけが地震予報を発表することができ、その他いかなる組織も個人もその権利を持たない」。(つまりこちらでは、個人のケータイに政府からの情報が直接入ります)

四川地震の後遺症はこんなところにも、まだまだ残っているようです。それにしても、チリでも巨大地震が起きたばかりし、地殻活動に、これまでにない異変が起きているのでしょうか?

翌々日に、中興社という山奥の村に向かいました。以前一度取材していますが、かつて日本軍の御用商人をしていたという人です。ところが、雪は溶けているけど、かえってぬかるみが酷くて村には入れないというのです。またまた出直しです。

途中にあった廟。ここに登るほんの数メートルが泥の坂で、もう滑って滑ってたいへんでした。

車で行ったので(ア、これじゃないですよ)、なつめも連れて行きました。そろそろ賀家湾に帰らないと、ストレスがたまって辛いと思います。
そうなんです、まだ自分の家に帰れないでいるのです。私も辛いです。

(2月27日)