到了李家山了!

きっとみなさんのご期待に背くかと思いますが、実はこれまでになく順調に李家山に着いてしまったのです。

まず、朝8時過ぎにターミナルに着いたのですが、思っていたほどの人波ではありませんでした。考えてみれば一番のピークはすでに過ぎていたし、現地の人々の多くは、さそいあって小型車などをチャーターして、下の道を通ってすでに帰郷しているのです。私たちから見たらたいした積雪ではなく、タイヤチェーンさえ用意できれば走れます(最もこの地では、それが難しいと思いますが)。それにしても今年はほんとうに雪が多く、先日乗ったタクシードライバーは、中華人民共和国建国以来の大雪だといっていました。

そしていよいよ高速道が開通した今日は、切符売り場の前にはロープが張られ、たくさんの係員が出て人民を誘導をしていたのです。最近はときどきこういう光景を見るようになりましたが、我々年寄りにはありがたいとはいえ、あの“熱血中国”のド迫力が徐々に消滅してゆくなぁという危惧感もないではありません。

しかし私がターミナルの中に入ろうとすると、離石行きのバスはまだ来ていない、と女性の係員に止められてしまいました。こちらでは、バスがターミナルに入ってきてから、そのバスの切符を売ることになっていて、いちおう場内に掲げられている時刻表というのは関係ありません。しかし相変わらずその女性係員の言葉が信用できない私は、彼女がいなくなるのを待って、今度は優しそうな顔をした若い男性をつかまえて、再度“カタコト中国語”で意を告げると、彼はロープをはずして中に入れてくれたのです。9時10分発の切符が難なく買えました。“外国人”のせいで損をすることもたびたびなのですから、たまには得をすることがあってもいいのです。

高速道はすべて除雪されていました。「兵隊さんありがとう」といいたいほどの完璧さで、心配していた渋滞もなく、ウトウトしている間に、あっけないほどの速さで離石に着いてしまったのです。まずは行きつけのケンタに入ってコーヒーを注文し、町の様子を眺めてみると、いかにも“年の瀬”、人々があわただしく行き交い、物売りが最後の商いに走り回り、商店の軒先にも紅い提灯がぶら下がって、今年もあと何時間、といった風情でした。時計を見るとまだ2時前です。

町外れにある「記念碑」という場所に行って、そこでバスを待つのですが、賀家湾を通るバスは1日に1本しかないし、未舗装の山道なので最初から無理だろうとあきらめていました。バスはみな個人経営なので、身の危険を犯してまで村から出てくるとは思えないのです。それで私は迷うことなく、愛犬なつめの待つ磧口に行く先を定めました。タクシーでもおそらく200元ほどで行ってくれるでしょう。

ところがここでもラッキーなことに、記念碑に着くと、後輪にがっしりとタイヤチェーンを巻きつけた泥だらけの“黒バス”が待ち構えていたのです。磧口まで40元という“破格の料金”でしたが、まさに地獄で仏のありがたさです。しかも運転手は私を知っていたようで「春節には国に帰らないのか?」などと話しかけてきて、私に特等席(一番ゆったりとした助手席)を用意してくれたのです。

4時には磧口に着き、スーツケースは預けて、なつめを連れて李家山に登りました。ロンフォアの民宿にいれば食事の心配もなく、私にとっては有難いことに、半ば“廃村”に近い村(この問題に関してはまた書きます)なのでとても静かだからです。

ということで、8日に飛行機に乗って、12日の夕方に無事目的地に到着しました。相変わらず氷点下の寒さで、いままた雪が降り出しそうな中、誰が使ったかわからない湿った布団で身体を縮め、顔も洗わずに横になりましたが、なつめの嬉しそうな顔を見ながら、私もまたようやく故郷に帰ってきたなぁという気分にしみじみ浸ることができたのです。

(2月12日)