突入あるのみ

ゆうべはかなり降ったのですが、今日はずっと降っていません。天気予報では今夜は「曇り」で、明日は「晴れときどき曇り」です。テレビを見ていたら、封鎖地域が徐々に開通しているということで、融雪剤はもちろん、ものすごい数の人民解放軍が投入されているのでしょう。前に一度、開通直後に路肩で作業している姿をバスの中から見たことがありますが、あたかも戦場で生死をかけて闘う兵士たちのような雰囲気すらありました。なにがなんでも故郷に帰って春節を迎えたい人民たちのために、徹夜で除雪作業に精を出したことでしょう。

ということで、今からバスターミナルに行ってみます。いつ開通するか?開通しても切符が入手できるかどうか?さっぱりあてになりませんが、とにかく現場に行って、状況を見ながら判断するしかないです。荷物はきのう非貴重品だけ、郵便局から送ったので20キロくらいになりました。怒涛の人波に突入あるのみです。

(2月11日)

午後2時ころにバスターミナルに着いたのですが、そもそも切符売り場のドアが内から閉じられていて、その前に黒山の人だかりがしていました。場内放送では、「離石、臨県、柳林行きのバスは、本日はありません」と、エンドレスで流しているのですが、それを素直に信じられるかというと、まったく信じられないのです。何の予告もなく突然ドアが開いて切符を売り出す、というのが普通のパターンですから。そんなときはまさに堰を切った泥流の如く人民が押し寄せて、もうか弱い年寄りなど押し流されて切符を買うどころか踏み倒されて圧死しかねないほどの事態も予測されるのです。

それで私はまだそれほど切迫していない状況の中で、すき間すき間にじりじりとスーツケースを押し入れ、なんとか最前列に近い位置まで侵入することに成功しました。そのままスーツケースの取っ手をしっかりと握りしめ、まぁ2、3時間はこのままだろうなぁと覚悟を決めたのです。着られるだけのものを着こんできたし、もちろん朝から水分は一滴もとっていません。

それらの人波をかき分け、例によって「離石までひとり200元!」と、“黒車”(闇タク)のおっさんから声がかかります。200元のお金はこの際惜しくはないけれど、彼らは坂の厳しい下の道路をノーマルタイヤで(チェーンくらいは持ってるだろうけど)走るわけで、危険きわまりないのです。それに、状況が変わったらどこでどう放り出されるかわかりません。取り締まりにあったらアウト、払い戻しもありません。私は何度も痛い目にあっているので、今回は乗りませんでした。

そうこうしているうちに、制服を着たターミナルの職員がやってきて、今日は高速道は開通しないというのです。彼はいかにも状況を把握しているといった感じで説得力のある話し方をし、服装もバリッとしていて、なんとなく信頼がおけそうで、それを聞いた人民の群れは徐々に解散していきました。ただ、文水という途中の町までは、下の道路を走るバスが出るというので、私はその群れに混じってとにかくターミナルの中には入ることができました。いまいち不信感が残っていて、帰るに帰れなかったからです。

ところで私の2つのスーツケースというのは、ジャスコだかで買った2つで1万円ちょっとの“安物”ですが、メタルっぽい感じのツルツルしたやつです。こちらではほとんど全部が布製で、私のようなのは珍しく、とても“高級品”に見えるのです。タクシーの運転手も、「いいカバンだねぇ」と、乗る時も降りる時もつくづくうらやましそうに呟いていたくらいですから。だから、私が人民の山の中でこのスーツケースを持って立っているだけで、たしかに目立つのです。しばらくぼんやりしていたら、守衛さんのような人が近づいて来たので、私はシメタと思い、ものすごいカタコトの中国語で「自分は外国から来た旅行客だか、状況がわからなくて困っている」と伝えました。

すると彼はこちらに来いと目で合図をし、奥の方にある“駅長室”みたいなところに連れて行ってくれたのです。そこでその“駅長さん”みたいな、襟にいくつも星の付いた制服を着た立派な雰囲気の男性は、ゆっくりと噛んで含めるように、「今日は開通しないので、明日朝8時に来てください」と宣告を下しました。ついつい人の外見に左右されてしまう私は、このときようやくにして、「今日は帰れない」ということを理解したのです。ということで、私はまた并州飯店に戻ってきました。

(2月11日)