改改ばあちゃん PART3

9時にみんなで朝ごはんを食べて、昨日の現場に向かいました。何としてもじいちゃんの骨を探し出さなくてはなりません。人数が4人ほど増えて、新しい墓とふた手に分かれて作業開始です。昨日は3つ、それらしき所を掘ったのですが全部ハズレて今日はまた新しい所を掘り始めました。なにしろ表面の3、40センチくらいはガチガチに凍っているので、ツルハシで穴を穿ってゆくのですが、まぁ彼らの馬力のあることといったら、まるで人間削岩機です。10分くらいづつ掘っては交代してゆくのですが、こんなところでもまさに“人民中国”の底力を見る思いでした。そして掘った土をどんどん崖下に落としてゆくのですが、ちょうどその下に新しい平屋ができていて、その屋根の上に土がたまるので、その家の人が止めてくれないかといいに来ました。なんと応えたのか聞き取れませんでしたが、そんなことくらいで「すみません」と謝るようなことは絶対にあり得ず、作業続行です。

そしてついに、お昼ごろになって、ようやく横穴の入り口の部分が発見されたのです。この中にじいちゃんの骨は必ずあるはずです。私は何か宝物でも発見されたような気分で、ドキドキしながらビデオのスイッチをオンにしました。入り口から中にかけてもかなりの量の土がたまっていて、それからもしばらく土を掻い出したのですが、20分くらいで棺の蓋らしきものが姿を現しました。村人のいうこともほんとうにいい加減で、じいちゃんの遺体はちゃんと立派な棺に収まっていたのです。

棺は半ば土に埋まっていたので引き出すことができず、蓋をバリバリッと剥がし出しました。まるで木枠に収まった荷物の梱包を解くのと同じですが、20数年間漆黒の闇の中に眠っていたじいちゃんの遺体に、太陽の光と高原の風がそよと届いた瞬間です。穴の上には村人が5人ほどと、親族のふたり、うちひとりは喪主である男のお孫さんが覗き込んでいました。

しかしその後、驚くべきことに、その墓を掘っていた村人は、「おーい!下りて来いよ」と、まず最初に私を名指しで指名したのです。えっ?まさか‥‥私が?と一瞬躊躇したのですが、こちらに暮らして4年半、私はこういうチャンスは決して逃しません。他の人の顔など見ないようにして、どどっと穴の底に滑り込みました。墓室の中は真っ暗で、入り口のあたりに少し陽が差しているだけです。それで、ナイトスポットでビデオ撮影し、フラッシュを焚いて撮ったのが上の写真。布がかけてあったので、骨は見えませんでした。ネズミの死骸がたくさんありました。

その後に親族のふたりが下りて、骨をザルに集めます。おかしなことに、喪主の青年は怖がって奥まで入りたがらないので、もうひとりの青年が懐中電灯の代わりにケータイを持込んで中に潜り込み、すべての骨を拾い集めました。出てきた骨を見てみると、おじいちゃんはずいぶん背が高かった人のようで、やはり大腿骨がとても立派でした。下の写真の人はウチの大家さんで、親族ではありません。くわえタバコで「顎の骨がない」と骨の山をがちゃがちゃかき回してようやくみつけて「あぁぴったり合うわ」といっていましたが、そりゃあたり前でしょう。

とにかくめでたくじいちゃんの骨も見つかり、祭壇には花輪と飾り物など1セットも用意されて、立派なものになりました。風水先生も来て、墓に入れる紙や木切れや石にいろんな文字を書いて帰りました。楽隊がないのでバイルーダンはなしで、夕方から昨日と同じように“宴会”です。

村人にとっては一番大仕事の墓堀りが終わったので、昨日以上に酒がすすみ、親族の人たちも後は明日の埋葬を待つだけで、みんなホッと肩の荷を下ろした表情でした。話している内容は聞き取れないのですが、いずれにしろ、ばあちゃんを偲ぶ話題なんかではなく、「オレの酒が飲めるのか、飲めないのか」といった類の掛け合いでどんどん酒ビンが空になり、それはまったく、日本の“忘年会”と変わらなかったのです。

(12月30日)