改改ばあちゃん 最終編

7時に出霊(出棺)ということで、6時半に外に出たのですが、外は満月でものすごく明るく、懐中電灯は持ちませんでした。私が行くと、ばあちゃんの家の庭には煌々と明かりが灯り、村人の到着を待つばかりとなっていました。これらの準備はすべて前夜のうちに行われ、電灯は一晩中つけたままです。

これは墓に持っていくお供え物。碗の中の白いものは、じゃがいもでんぷんで作ったものです。あとインゲンとトマトと香草。右側の茶色いのは線香。

いつもの儀式はなく、すぐに棺を丸太棒にくくりつけ、まわりを粟の干し柄で飾るのですが、この頃には山の端に月が落ちてしまい、あたりは真っ暗になってしまいました。こういう暗闇の時間帯があるとは初めての経験です。しかし村人たちは慣れたもので、手際よく作業が進み、20分くらいで準備が整いました。

いつもはここで爆竹が鳴らされ、楽隊の先導で埋葬地へ向かうのですが、今日はしごく簡単に「さぁ行くぞ!」の合図とともに、8人の男たちによって棺が担ぎ上げられました。

7時になってもあたりは真っ暗で、私は滑りやすい足元に気をとられ、おまけに寒すぎてシャッターも切れなくなったりで、凍える指先に息を吹きかけながらあたふたついて行ったのですが、村人たちはなぜあんなに夜目が利くのかとても不思議です。中国の棺は日本のものよりずっと重く、2本の丸太棒だけでもかなりの重量です。それを担いで灯りもなしに凍った山道を上ったり下りたりしているのに、空身の私はついてゆくのがやっとなのです。

15分ほどで埋葬地に到着し、棺を下ろして、まずは一服。こちらでは人に勧めるときは、2本差し出し、そのうちの1本を取るのが“作法”です。中国でも都会では最近タバコを吸わない人も増えてきているようですが、この地ではタバコは挨拶がわりであり、お金のかわりであり、タバコがなければコミュニケーションが成立しません。特に葬儀は、人の手を借りることが多いので、謝礼として何度もタバコを渡し(お金を渡すということはありません)、作業中にも5分に1回くらいはタバコが差し出されます。おかげで私も最近せっかく禁煙していたのに元の木阿弥で、もう途切れることなく吸い続けました。しかし、これは私にとっても一種のコミュニケーションツールで、あまり言葉が通じないおっさんたちとも、このタバコ交換で何がし心が通じ合っていることは事実なのです。「タバコは吸うわ酒は飲むわバイクは乗るわ」という、“女の嗜み”に欠ける分だけ、村人にとって(男性にとって)は声がかけやすい存在になっているのです。

普通はここで雄鶏を墓の中に放ちます。雄鶏が死者をあの世に送る道案内をしてくれるということからです(今回はなし)。それから風水先生が墓室の中に入り、いろいろまじないごとやらまつりごとやらやるのですが、さすがにそれはまだ見たことはありません。それが終わって風水先生が出てくると、いよいよ棺を下ろします。

下ろした棺をこうやって墓室の中に押し込みます。これは親族の男性がやります。ちなみに、女性は埋葬にはいっさい関わらず、周りで見ているだけです。ただし、一度だけ、墓穴に戻した土を踏む作業を男性と一緒にやっているところを見たことがあります。やはり、各地域、各家によって、いろいろなところで微妙な違いがあるようです。

これが墓室の中。右側にじいちゃんの骨が安置されています。骨の上には紅い紙がかけられます(合葬用の小さな棺に入れるところもあります)。私がまだ穴の中にいるのに、上から土を放り込んでくる人がいて、もうとにかく、寒いから早くかたづけようという雰囲気がありありです。私が穴から引き上げてもらうと、すぐさま怒涛のように土が投げ入れられ、ときどき親族がそれを踏んで固めます。

7時40分、ようやくフラッシュなしで撮影できるようになりました。

8時過ぎに墓は完成しました。墓標などはいっさいありません。普通は2時間以上かけてやるのですが、これまでで一番短い時間でできあがりました。燃やすものもほとんどない(ほんとうは最後に燃やさなければならないいろんなものを、暖をとるために、みんな次々燃やしてしまった)ので、あっという間に燃え尽き、その他の儀式もほとんどなし。しごくあっさり「さぁ帰ろうぜ!」と、丸太棒やシャベルを担いで流れ解散です。

そしてちょうどこのとき、東の山から光の帯を長く長く引きながら太陽が昇ってきました。月が山の端に落ちてから、太陽が昇るまでの1時間ちょっとという、実に「和諧号」(中国の新幹線)並の超特急の埋葬だったのです。ただし、だからといって“ないがしろ”に扱われたのかというとそんな感じでもありません。この地では、死や葬儀は、日本と比べればきわめて日常的な感覚の中でとり扱われます。だからその時々の様々な条件に左右されるところがあり、凍える氷点下の世界で形式ばかりにこだわっていてはみな風邪をひきます。

一時はあきらめかけていたじいちゃんの骨も無事に見つかってほんとうによかったです。とても話好きだったばあちゃんは、今頃は「おじいさん、中国も村もほんとうに変わりましたよ‥‥」と、20年分の報告をしているのかもしれません。永遠の闇の中で永遠の時間を共に獲得しながら‥‥。

それではみなさん、よいお年を!

(12月31日)