さよなら 改改ばあちゃん

今度のところに引っ越してから、なつめの散歩はいつも山の上へ行きます。前は谷筋に家があったので、谷の方にもよく行きました。今日は何となく気が変わって久しぶりに谷へ下りてみました。引っ越して以来、初めてのことです。そして戻り道で、改改(ガイガイ)ばあちゃんの家の前を通ったのですが、何だか人がバタバタかたづけものをしていて、私はトッサに嫌な予感に包まれました。改改ばあちゃんの家は、前に住んでいた家の隣(といっても100mくらい)にあったので、しょっちゅう顔を合わせていましたが、あまりいい健康状態ではなかったからです。

息子のヨメさんという人が、今朝の10時頃訪ねてきたらすでに亡くなっていたというのです。ここ最近寒い日が続いていたので高齢の身にはこたえたのでしょう。ゆうべはまたことの他に冷え込んだのです。あんな寒い夜にたったひとりで、誰にも看取られることなく旅立っていったなんて、寂しすぎます。

私が思わず涙ぐんでいたら、村人の感覚はぜんぜん違うのです。身体が曲がっていたので、まっすぐにするために、もうばあちゃんの骨が折れるんじゃないかというほど、屈強の男ふたりでグイグイ押さえつけ、両手を合わせて麻紐で縛るのも荷物扱うみたいに乱暴で、あぁそれじゃばあちゃんがかわいそうと、またまた涙が出そうになってしまいました。

亡くなってまだ数時間だというのに、ばあちゃんの服から靴から道具から、ほとんど中も確かめずに積み上げて、どんどん燃やしてしまうのです。それらのひとつひとつに彼女の人生の折々の想いがこもっているのにと、母親の服など、下着までいまだに捨てられないでいる私がおかしいのだろうかと思い返してしまいました。

この小物入れ(3つ折にして使う)まで火の中に放り込まれて、危機一髪拾い上げました。中には真鍮製の鈴がいくつか入っていましたが、きっとばあちゃんは大切にしていたのだと思います。私がもらって帰りました。

ばあちゃんはこんなヤオトンにひとりで住んでいました。右端に写っている棺は自分で用意していたものです。

葬儀の日取りなどは、これから風水師と相談して決めるのですが、ある村人は、「あそこは金がないから、葬儀なんてなしで、埋めるだけじゃないかな」といっていました。死者が安置してある部屋の扉は、こうやって麻紐で縛ります。今夜はみな家に帰ってしまって、ばあちゃんは相変わらずひとりぽっちです。

遺体の枕元に故人が使っていた枕を置きます。ばあちゃんが飼っていた猫がその上でじっとしていました。今夜は扉を閉じてしまったので部屋に入れず、氷点下十数度の夜、どこでどうやって過ごしているのか、哀れです。

もっと明るい話題を書きたかったのですが、ごめんなさい。こういうばあちゃんが83年の人生を終えたという証を、せめてこんな形ででも残したかったのです。写真は今年の夏、最後にばあちゃんを撮ったものです。

(12月27日)