大葬儀

きのうは冬至でしたが、こちらでは冬至というのは、先祖の墓参りをする日です。だいたいお昼前後の時間帯にちょっとしたお供え物を持って山に登り、先祖の墓に詣でます。町に出て行った息子たちが帰ってきている家もあり、山のあちこちでバチバチと賑やかに爆竹がなり響きます。私は大家さんについていって、どんなふうにするのか見せてもらおうとしたら、「ウチはキリスト教だから、伝統的なスタイルを見たかったら他の人についていった方がいいよ」といわれて、後ろからやって来たじいちゃんに乗り換えました。

お参りはしごく簡単なもので、お菓子やみかんなどのお供えをして、紙銭を燃やし、線香をたてて、お酒をふりかけ、トントンと頭を下げて終わりです。そして最後に爆竹を鳴らします。ほんの5分から10分くらいのものです。
日本とちょっと違うなぁと思うことに、お供えの品の並べ方があって、例えばみかんも皮をむいて房をバラして並べ、飴でも必ず包み紙をとって供えるのです。すぐに食べられるようにだそうです。

これもこのじいちゃんの家の墓で、1943年に日本軍に壕で焼き殺された人たちが何人も眠っているそうです。このじいちゃんは比較的若いので、これまで取材というのはしてなかったので初めて聞いたのですが、この村の人と何気なくその話になると、必ずといっていいほど、こういう結末になります。

突然向かいの樊家山から爆竹の音が響いてきました。眼をこらしてみると、何だかアドバルーンみたいなのがたくさん揚がっていて、聞いてみると、ものすごく大きな葬儀があって、大変なことになっているらしいというのです。樊家山といえば、私がかつて1年以上暮らした村であり、村人のほとんどが顔見知りです。いったい誰が亡くなったのだろうと気になって行ってみることにしました。

そういえば昨日から妙だなと思っていたことがあって、それは、招賢から樊家山に上ってゆく公道が、たしか前日まで白い雪がたくさん残っていたはずなのに、真っ黒になっていたのです。誰か除雪したんだろうかと思っていたのですが、実際に歩いてみると、除雪ではなく、土をまいていたのです。雪は半分くらいは凍り付いていてそれを剥がすのは大変なので、上からかなりの量の土をかけているのです。もちろん車が通れるようにで、確かに昨日来ひんぱんに車が行き来していました。

たどり着いてみるとそれはもうド派手な葬儀で、花輪が100本以上も並び、孝衣(喪服)を着た人の数も数十人、もしかしたら100人くらいいて、いったい誰だろうと高く掲げられた写真を見てもどうも見覚えがありません。そもそも故人の家ではなく、空き地に祭壇が作られていたのです。それに、見知った村人の姿がほとんどなく、みな町からやってきたと思われる人ばかりです。

ようやく知り合いを見つけて聞いてみると、88歳で亡くなったこのおばあちゃんは、すでに何年も前から離石で暮らしていて、樊家山には誰も住んでいないのだそうです。しかし連れ合いの墓が樊家山にあり、合葬するために、葬儀はここでやらなければならないのだそうです。何でも、息子が山西省でも有名な炭鉱のNO.2だそうで、母親の葬儀くらい、湯水のように金を使ってもヘとも何とも思わないのだそうです。

どうりで、あの5Kmはある雪道を、人海戦術を使って一晩で開通させることができたわけです。まるで小さな山を一山崩したかと思われるような土の量でした。私が行ったときは30台ほどの車が停まっていましたが、そのうちの2/3はPAJEROやPURADOなどの日本車。確かに山西省ではとても役に立つ車でしょう、お金さえあれば。参列者や手伝いの人に配るタバコも、1箱30元(西山上では3元でした)。参列者にふるまわれる食事は、豚、鶏、羊肉に魚など20皿(西山上では1碗でした)。出てくる酒は1瓶80元(西山上ではナシ)。臨県でもトップクラスの楽隊に払うお金が3000元(西山上では600元)と、いちいち金額を比較するのも何ですが、あるところとないところは、これくらい違うのです。

しかし、村人の姿はなく、そこへ元八路軍の薛景富じいちゃんが現れて、酒やタバコの空き箱を拾い集めているのを見て(カマドで燃やすため)、私はもう帰ろうと思ったのですが、なぜか主催者側の人が私を知っていて、供養だからどうしても食事をしていってくれというので、顔見知りだった楽隊のメンバーと同じテーブルに座りました。あまりいい気分ではなかったので、その80元の白酒をぐいっと飲んで、30元のタバコも2つもらい、なつめのご馳走も袋に詰めてから、挨拶もせずにさっさと賀家湾に戻りました。
この道は、春節の頃までは凍りついたままでそれなりに歩けるけれど、その後暖かくなって土の下の氷が溶けてくれば、それはもう日本では想像を絶する凄まじいぬかるみに変わるのだけれど、葬儀が終わってから、果たしてこの土を、やはりお金を使って人海戦術で撤去してくれるのだろうか?恐らくはほったらかしで都会に戻ってしまうのではなかろうかと、忌々しさとやり切れなさを心に引きづりながら。

ちなみに、この家の“家風”で、写真は遠慮してほしいということなので、絢爛豪華な葬儀風景の写真はありません。

(12月23日)