その後のナンマツ君

ナンマツ君が渾身の力をふりしぼって奇跡のように立ち上がったのは、4日の夕方でした。しかしどうやらそのときにまた足を傷めたらしく、翌日も翌々日も彼は同じ場所から一歩も動かずにじっと座っていました。それでもそれまでと変わらず元気そうで、ご飯もよく食べ、しばらく休養すればまた徐々に回復してゆくだろうと、特に心配はしませんでした。

6日は磧口に市がたつ日だったので、私はなつめとナンマツ君のために大きな羊の骨を2つわけてもらい、夜は下の食堂で大盛りの焼きうどんを注文して、その残りと骨を持って翌7日の昼にいつものところに行ったのですが、ナンマツ君はそこにはいなかったのです。あたりをくまなく探してみましたが見つかりません。そもそも、前以上に、そんなに遠くまで移動できるはずはないのです。

その日は朝から雪が降りました。もしもその日になってから彼が自力で移動したとしたら、雪の上に跡が残るはずですが、その空き地の雪はまっさらでした。もしかして界隈をなわばりとする野犬の群れにでも襲われたのかしらとも思いましたが、それならばなおさらのこと、何かそれらしき痕跡が残るはずです。つまりナンマツ君は、前日6日の午後、私が見てからその夜までの間に、何者かによってどこかに移動させられたということになります。

そこへ顔見知りの村人が通りかかったので聞いてみると、「あぁ、あんたがエサをあげていたのか」といって、「そこの若い衆に聞いてみてあげるよ」と、すぐ隣の天然ガスの現場事務所に声をかけました。フェンス越しに顔をのぞかせた作業員は、この地のなまりが強く残る言葉でそっけなく「さぁわからないね」と、犬がいたことも知らなかったようでした。村人がことの顛末を諄々と説明し始め、しばらくの後に、私たち3人は「きっと誰かが食べたか、売り払ったんだろう」ということで意見の一致をみたのです。

やがて作業員はさして関心もなさそうに持ち場に戻って行き、村人もまた「時間があったら遊びに来てくれ」といいながら、降りやまぬ粉雪の中、家路を急ぎました。私はもう一度あたりをウロウロし、一縷の望みを抱いて湫水河の河川敷まで下り、彼の名を呼んでみましたが、奇跡が再び訪れることもなく、凍りついた河面はシンと静まり返っていました。ナンマツ君が最後の2日間座っていた砂地の丸い窪みには、あたかも彼の不在を証明するかのように新しい雪が降り積み、私は彼のために少しだけ涙を流しました。

この地にはもともと犬肉を食べる習慣はありません。しかし、人もモノも、これだけ頻繁に行き来する中で、新しい“食文化”がこの地にまでやって来たとしても何ら不思議はありません。現に磧口で、「犬の肝あります」という看板を見たのは、この4年半で初めてのことでした。“犬肉は滋養があって身体を温める”のならば、病の床に臥している家族や友人に食べさせたいと思うのも人の情けでしょう。あるいは新しモノ好きの青年たちが酔狂で酒の肴にしたのかもしれません。動けないナンマツ君は、野鴨や野兎よりもずっとおあつらえ向きの獲物だったのですから。

その日から磧口を離れるまでの4日間、やはり私はナンマツ君の姿を求めて界隈を探し回りました。せめて噂話にでもと、村人たちに声をかけてもみました。あり得ないこととは知りつつも未練絶ち難く、流氷流れる黄河の畔もウロつきました。

哀しいことだけれど、きっと今頃はすでに、ナンマツ君は誰か人間の血と肉の細胞となって生まれ変わっていることでしょう。それでももし、もしも奇跡が再び降臨することがあるならば、ナンマツ君、いつかどこかで、生きてもう一度会いましょう、再見!

(12月11日)