突撃ラッパ

前回、「すっかり秋の色に変わった」と、間の抜けたことを書いてしまいましたが、その翌日にちょっと雨が降り、その翌日から急に寒くなりました。離石の天気予報では、今日の最低気温は−8℃、明日の最高気温は2℃だそうですが、賀家湾は離石よりずっと高いので、もっと寒いはずです。庭の甕の水も凍りつき、あわててポリバケツに入れ替えました。凍結で割れてしまうからです。いよいよ冬将軍がおでましになったようです。

私は昨日一昨日と、臨県に写真を焼きに行ってきました。いつも日帰りすることが多いのですが、今回は冬の衣料など買いたかったので、一晩泊まりました。それで2日目にちょっと時間が余ったので、これまで行ったことがなかった山の上にある「烈士陵墓」に行ってみました。

日本軍と戦闘があって、それなりの死者数が出ている市町村には、だいたいどこに行っても「烈士陵」あるいは、「烈士記念塔」というのがあります。そしてそこは、必ず「青少年教育基地」となっていて、小学校の遠足でまず最初に訪れるところのようです。ただし、臨県は当時共産党の勢力が強かった地域なので、南部の離石や三交などと比べれば、比較的戦死者の数も少なかったと思われます。日本軍の駐屯地もありませんでした。

だからというわけでもないでしょうが、ここの烈士陵は管理する人がいるわけでもなく、陵の入り口には南京錠がかかって中も埃まみれになっていました。しかし陵の周辺は町では珍しく緑が多く、あずまやなどもあって、子ども達の遊び場、あるいは絶好のデートコースになっているようでした。

山の頂上には観音堂もあって、そこでも少女達が軽やかにはしゃいでいて、日本のどこかで見る光景とまったく変わりませんでした。

烈士塔のてっぺんにラッバ手が乗っていましたが、兵士は今もなお“突撃ラッパ”を吹き鳴らしているのかしらと、私は複雑な気分になってしまいました。実は、一番最初の写真の右端のブルーのジャンパーを着た青年が私のことを知っていて、「まだ日本に帰らないの?」と話しかけてきたのですが、職がないそうです。「日本にはどうやったら行けるの?」「給料はいくらくらいもらえるの?」「日本の方がここより生活条件はいいんだろうね」と、いつもながらの質問攻めにあい、答に窮していると、「最近は臨県も豊かになって、そのかわり町が乱れてきて、危険が多くなったから気をつけてね」といいながら去っていきました。その彼の背を“突撃ラッパ”が追いかけているようで、私は少し胸が痛んだのです。

(11月1日)