落ち葉かき

昨日一昨日と風が強く、庭に木の葉がいっぱいに散らばったので落ち葉かきをしました。どうです、焼き芋ができるくらいあるでしょう?ウチの庭にも棗の古木が1本あり、屋根の上にも大家さんの畑があって、何本かの棗の木があるので、けっこうな量になるのです。
で、なつめの後方に写っている箒は、1本の草です。名前は「箒草」。私は招賢で5元で買いましたが、みんな自分の家で作っています。というか、もうあたりかまわず生えまくる草なので、その中でよさそうなのを残してあとは抜いてしまいます。放っておくだけでどんどん大きくなって、それを適当な時期に紐で縛っておくのです。もっと大きいのもいくらもあります。これは軽くてよくしなって、とても使いやすいのです。

私はこちらに来たての頃、庭に木の葉が舞い落ちるのを、掃除せずに残しておいたものでした。千利休が小僧さんに「全部掃き清めてしまっては風情がない」といったとかいわないとか?私もそれにならって黄土高原の落ち葉を愛でては、しばし日本の秋に思いを馳せたものでした。

ところがこちらの人たちは、徹底的に庭の掃除をします。部屋の中も納屋の中も乱七八糟に汚くても、庭はいつもきれいさっぱりつるつるに掃除しまくるのです。木の葉1枚、ゴミひとつ許されません。それはなぜかというと、水です。生活用水は庭を流れる雨水をためて使っているため、庭の土はきれいでかちかちに固めた焼き物みたいになっているのがベストなのです。たとえ自分の家に井戸が掘ってなくても、それが習慣なのです。

なるほど。それがわかってからは、私も風流より水で、せっせと掃除しまくるようになりました。「日本にはそういう文化がある」と、利休の講釈をたれたのも今はもう遠い昔です。

(10月18日)