「危機」

久しぶりに磧口に行ってきました。やはりなんといっても私の旅は磧口から始まっているので、村の雰囲気が伝わるような写真を一枚撮る必要があったからです。それとたまにはシャワーを浴びることも。磧口は7、8年前から官民上げて“観光による村起こし”に取り組んでいる地なので、実はとても立派なヤオトン造りのホテルがあるのです。昔からあった貿易商の建物を補修したもので、1泊120元くらいして高いのですが、私は今回そこに泊まるつもりでした。ところが、運が悪いことに、バスを降りて最初に目が合ったのが、普段泊まっている古鎮賓館の老板で、「やぁやぁ久しぶり」と、当然のように彼のところへ連れていかれてしまったのです。ここは磧口一ボロで、1泊10元。もちろんシャワーなどありません。暖房はいちおう入っていましたが、もう寒くて寒くて、寝るときに脱いだのは靴と帽子と手袋だけでした。またまた風邪を引いてはたまらないと、カシャカシャッと写真を数枚撮って、ほうほうのていで離石に移動しました。

で、その途中で気がついたのですが、ものすごく車が少ないのです。春節も完全に終わって、人の動きが少ない時期ではありますが、いつもだったら、「拉煤車」といって、石炭を積んだ巨大なトラックが途切れることなく行き来し、しょっちゅう大渋滞になってにっちもさっちもゆかなくなるルートです。で、運転手にどうしてこんなに車が少ないのかと聞いてみると、付近の炭鉱は全部閉鎖していて、どこも石炭を出していないというのです。

いわれてみると、確かに拉煤車は一台も見ませんでした。この、磧口−離石ルートは、離石に近づくに従って、沿線に小さな炭鉱が多くなり、途中で隣の柳林県から道路が合流するのですが、ここで1時間くらい車が動けなくなることもたびたびでした。柳林はとりわけ炭鉱の多い地域です。あれだけの拉煤車が一気にゼロになるとは、いったい現場は、現場の労働者はどうなっているのでしょう?春節を長く休んでいるのかとも思ったのですが、どうやらそんなことではないようです。

離石に着いて、定宿にしている招待所に泊まったのですが、そこもほとんど客がいないので、春節明けかと老板に聞いてみると、彼は「危機だから」というのです。アメリカの影響で中国にも「危機」がやって来たと。この「危機」(中国語も同じ)という言葉は、おそらくテレビのニュースで使われている言葉でしょう、他にも数人の人から聞きました。この言葉がやがて、いやもうすでに、賀家湾のような田舎でも流行語のように人々の口の端に上るようになるでしょう。こんな“天高皇帝遠”の地にまで、グローバリゼーションの荒波が一気に押し寄せるのかと思うと、私には他郷とはいえ暗澹とした気持ちにさせられます。今や農民たちの暮らしは、出稼ぎ労働なしには考えられなくなっているからです。

写真;下の2枚は比較的天気がよかった午後、一番上は、翌日やや曇っていた午前中に撮ったものです。この茶色っぽい古ぼけた感じが磧口の雰囲気を伝えているような気がします。左手の山は対岸の陝西省、右手に湾曲しているのは山西省の山です。

(2月17日)