統計

今回臨県に行ったのは、本を出すにあたって、知りたい数値があったからです。それで、臨県に住む友人に頼んで、人民政府から『臨県誌』という、重さ3キロはあるだろうと思われる分厚い本を借りてきてもらいました。ところが、この本はすでに1年以上前に見たことがあるので、もっと新しいのはないかと聞いたのですが、ないというのです。1992年発行で、データは1990年まで、つまり20年前の統計です。

私がどうしても知りたいことが2つあって、ひとつは臨県の人口、そして、県民、とりわけ農民の平均年収です。ところがその友人は、県民の収入などわからない、というのです。公務員や大きな会社の社員などは把握できても、小さな商店の従業員など、税金を払っているわけでもないのでわからないし、まして農民など、見当がつかないだろうというのです。確かに村人たちを見ていると、農産物というのは、ほとんどが自家消費するためのもので、例えば磧口界隈の河川敷で手広く野菜を生産しているごく一部の農家を除いて、出荷して得られる収入というのはほんのわずかです。

まず紅棗があるのですが、これは2年続いてほぼ全滅でした。大豆や油を採る麻の実、飼料用とうもろこしなどは出荷していますが、これとて、オート三輪で廻ってくる仲買人に2袋、3袋単位で売っている程度で、伝票も何もあったものではありません。それと、今一番の収入源である出稼ぎで得た賃金は、だれもどこにも申告しないのだそうです。

それでは、私が来た3年半前には、臨県は「国家級貧困県」に指定されていたけれど、それは今でも解除されていないのか?友人がいうには、そんなものいつまでたっても解除されるわけがない。なにしろ、出稼ぎ賃金は年収に加算されないのだから。

では、「国家級貧困県」の条件とは?それは県民ひとり当たりの年収が2,000元以下で、この県民とは、ゼロ歳児から寝たきり老人までを含むのですが、この界隈では、子どもはだいたい小学校に上がる頃にならないと戸籍登録をしないので、当然無戸籍で、その子たちは頭数には入りません。老親と同居しているとして、1戸当たりの年収が10,000元程度ということになるでしょうか。2年前に磧口鎮の鎮長さんに聞いたところでは、臨県ではひとり1,000元を割るといっていましたが、これももちろん出稼ぎ収入は入っていません。

しかし、太原まで出稼ぎに行けば、だいたい1ヶ月2、3000元にはなるし、炭鉱で働けば4、5000元以上の収入が得られます。ひと家庭で2人、3人と出稼ぎに出ている家も珍しくはありません。これらがまったく考慮されない統計って、いったい何なんでしょう?

で、平均年収はあきらめたけれど、せめて、昨年度の人口を政府まで行って調べて欲しいと頼んでおいたのですが、昨日携帯にメールが入りました。いわく、600,000人。果たしてこの数字で北京の中央政府は納得するのか?

とまれ、お上の管理や、統計上の数値の中に入れられることが生理的に嫌いな私は、ちょっと拍子抜けはしましたが、ま、いいか、私の本もこの程度で、ということで、どうやら“山西モンロー主義”は今でも健在のようです。

そうそうもうひとつ。『臨県誌』をめくっていたら、「年平均気温」というのがあって、8℃〜9℃という数値が出ていたのです。磧口の月別平均気温でも、最高は7月で25.9℃。私は自分の目を何度もこすりました。それはウソでしょう。私は実際に、照り返しがあるとはいえ、温度計の50℃のメモリを振り切ったのを何度も見ているし、夏場は、息を吸い込むと肺がやけどするのではないかとマジに心配するくらいです。これは当然「百葉箱」なるものの中で測定した数値なのでしょうが、きっと当地では、百葉箱も、冬暖夏涼の“ヤオトン造り”に違いありません。

写真;「紅」にこだわってみました。いずれも下の招賢で。3枚目の犬は、なつめではありません。なつめのお母さんはこのすぐ近くに住んでいるので、親戚かもしれません。
(2月9日)