冬の花火

春節休暇もそろそろ終わり、村から徐々に人が少なくなる時期ですが、今日は午後から招賢へ行く公道をやたらと車やバイクが走っていました。小型バスまで走っていたので不思議に思っていたのですが、7時頃になってドーン!ドーン!という大きな音が谷間にこだまし出し、なつめがびっくりして部屋に飛び込んできました。招賢で花火大会があったのです。外に出てみると村人たちが三々五々たたずんで見物していました。なんでも総額2000元の花火だそうで、一発上がるたびに「2000元」「あぁ2000元」「また2000元」と、感嘆とため息の入り混じった声が飛び交っていました。

毎年やっているのかと聞いてみると、今年が初めてだそうです。そういえば一昨夜は賀家湾小学校の校庭にビニールテントの仮設舞台を組んで、「秧歌隊」の歌があり、その後歌謡曲というかチャイナポップというか、にぎやかな音楽が遅くまで鳴り響いていました。ほんの15分ほどのぞいてみたのですが、これまでこの村では見たことがない人出で、屋台も数軒店を出し、他の村からバイクでやって来ていた若い人の姿が目立ちました。後半のCポップがお目当てだったのでしょう。これも今年初めてのことだそうです。

賀家湾は他の村に比べてもビンボー村で通っていたのですが、それでもこういうことができるようになったということは、確実に村人たちの収入も増え、村が豊かになったことの証でしょう。そういえば今回戻ってきてびっくりしたことは、村のあちこちに水銀灯が設置されていたことです。私の部屋のすぐ上にも煌々と深夜まで灯っています。確かに、道が平坦でないので街路灯があるとずいぶん助かるのですが、これまた村の“近代化”の証のようで、それは歓迎すべきことなのですが、“暗闇派”の私としてはやや複雑な心境でもあります。

それから春節の間中、お上のお慈悲だかなんだか、一度も停電がありませんでした。町から戻ってきた子どもや孫たちと団欒を囲んでテレビを見るというのが、村では春節の過ごし方の定番ですが、この伝統とていったいいつまで続くのか、都会から帰らない人たちもやがては出てくることでしょう。私は偶然そのはざまの時期にこの村に住むことになったのだと思います。村の“近代化”と同時に何が失われてゆくのか?もしも、それを見届けようと思ったら、いったい私はいつになったら日本に帰れるのでしょうか?

写真;今後(出版準備)のことを考えて身体をかばい、春節の間中ほとんど外に出ることもなかったので、ご紹介できるような写真がありませんが、2枚目はウチの大家さん。3枚目は村人たちで構成した秧歌隊で、家々を廻ってお祝いの歌を歌います。ちょうど日本の「三河万歳」のような感じです。下は一昨夜校庭で撮ったもの。ちょうど町内会の祭りの「お宿」と同じようなものですが、さすが中国。