黄土高原のおたまじゃくし

開化の話に戻ります。開化へは、まず磧口から臨県(臨県の行政所在地も臨県)まで行って、そこから開化行きのバスに乗り換えるのですが、臨県を出てすぐに、まわりの山の様子が違うことに気がつきました。緑が多いのです。途中で「退耕還林」(耕作を中止して森林に戻す)の標識も一度だけ目にしましたが、これはそもそも本来の自然条件に大きな差があるような気がしました。樹木がとても多いのです。ほとんどがヤナギとプラタナスですが、かなりの大木、古木が見られ、一部並木になっているところすらありました。賀家湾界隈でたまに見る大木というと、ほとんどが槐(エンジュ)で、プラタナスなど目にしたことはありません。

村に到着してわかったのですが、実はこの界隈はかなり水が豊富なところだったのです。村は黄河に流れ込む八堡水という支流に沿って開けており、川原にそれぞれが自家消費用の野菜畑を持ち、山の方で主食の粟やじゃがいもと、商品作物の紅棗を作っているようでした。川幅は5mにも満たない細い流れでしたが、一年を通して枯れることはないそうです。張先生の家のタダの水道も、この川の伏流水を汲み上げていたのです。そしてここには、賀家湾の人が1頭3000元で買ったという黄牛(茶色の耕作用の牛)を育てている農家が何軒もあり、つまり牧草が自給できるということでしょう。

私は到着した翌朝、川原に下りてみました。近くで見る川は、生活排水と家畜の糞尿で富栄養化がすすみ、あおみどろごっそりで、清流とはほど遠いのが残念でしたが、ここにはおたまじゃくしとカエルがもう何百匹もうごめいていたのです。普段は見ることのない湿地性の植物も目にしました。当たり前のことですが、やっぱり水があるところに生物が繁殖し、緑が萌え、樹木が茂り、人の営みがあるんだなぁと改めて感じ入りました。

“人のうわさ”とはほんとうにアテにならないものです。“何もないビンボーな村”と聞いていた開化村は、村人たちがとても純朴かつ開放的で、元気な子供たちがたくさんいて、おまけにかわいい子牛もたくさんいて、緑豊かな美しい村だったのです。

(6月15日)
写真;右下の色が違っているところが川。奥の山の頂にも大木が並んでいます。左側の樹木はすべてヤナギ。川原の石を割るとそのまま建築資材になり、これを積んで壁やトイレなどを造っていました。