切捨てゴメン!

13日の夕方“恵みの雨”が降ったことは書きましたが、私は翌14日夜、賀家湾に戻りました。磧口からいったん離石まで出て、そこから午後3時半に出るバスに乗るのですが、途中こんなことがありました。というか、日本ではあり得ない“習慣”について書いてみます。

この界隈のバスは10数人乗り小型バスですが、みな個人経営なので、勢い定員オーバーをしてひとりでも余分に乗せたがります。この日も7,8人が立っていました。まったく日常的な光景です。ところが珍しいことに、途中で交通検問があったのです。対向車線を走るバスの乗客がそれを教えてくれたので、運転手が「立っている人、降りて降りて!」と促しました。乗客も慣れたもので、文句もいわずにバスを降り、テクテク進行方向に歩き出しましたが、当然検問をやっているパトカーの前を通るわけです。警察の方も先刻ご承知ですが、とりあえずはバスも止められることなく無事に通過しました。ところがあいにく長い直線道路の途中だったので、警察から見えなくなる位置まで、降りた人たちはずいぶん歩かざるを得ませんでした。そしてようやくカーブを回ってバスが停車したところ、先のパトカーが追い越してきて、またすぐ前で検問を始めたのです。

バスは仕方なく、またノロノロ走り出しました。そして再び停車したと思ったら、またまたしつこくパトカーがやって来て、「何してるんだ!早く行かないかっ!」と警官がふたりも降りて来たのです。運転手はあわててバンパーを開け(運転席の横にあるタイプ)「今、水を足してるとこだから‥‥」とラジエーターにちょろちょろ注水を始めました。しかしそんなのはほんの1,2分、その間警官はじっと見張っていて、その場を立ち去ろうとしないのです。ついに運転手はあきらめました。つまり、歩いていた乗客は、かわいそうなことに切り捨てゴメンとなったのです。離石まではまだ10km以上ありました。

幸運なことに、私は無事離石に到着し、待っていたバスに乗り換えました。席がなかったのですが、1本しかないバスなのでこれに乗るしかありません。その頃にはまたしても小雨がパラパラ窓をたたき出し、私はイヤな予感に囚われました。“恵みの雨”は往々にして“恨みの雨”に取って代わるからです。案の定、1時間ほど走ってバスは停まりました。昨日今日と小雨が降っただけですが、この先は道がぬかるんで通れないというのです。黄土高原の山道のぬかるみというのは、水を含んだ黄土の層が、巨大なとりもちとなって車輪をがっちり抱え込むので、普通の車輌ではまったく歯が立ちません。「金を返せ」「返せない」のやりとりがしばらくあった後(絶対に返さないのが当地の習慣)、乗客の2/3はそこで降りました。土地の人たちばかりなので、親戚や知り合いの家に泊めてもらうのでしょう。

残りは再び離石に戻り、私は泊まるつもりでしたが、ちょうど招賢行きの最終バスが出るところだったので飛び乗りました。こちらは違う道を通るので大丈夫なようです。けっきょく招賢に着いたのは7時半頃で、私は大きな荷物を顔見知りの八百屋に預け(翌日取りに行ったら「なぁ〜に、インスタントラーメンばっかりじゃないの〜」と、つまり他人の荷物を勝手に開けて点検するのもこちらの習慣)、雨の中を賀家湾までドロドロになって歩きました。すっかり暗くなってからようやく我が家にたどり着いたのですが、ほんとうに長い1日でした。磧口からここまで、直線距離にして50kmにも満たないのですが、延々10時間、しかもこれは特別に珍しいことでもないのです。黄土高原にいると、1日はとても長く、あぁ歳をとるのは速いだろうなぁという感慨を、この3年間、私はいったい何度かみ締めたことでしょう。

(6月14日)
写真:こんなバスを村の人がひとりまたは共同で購入し、朝6時7時に村を出て町(離石か臨県)に向かい、夕方3時4時に出て村に戻るというパターンです。ですから、バス路線というのはもう“無数”にありますが、村から村へというのはありません。
賀家湾に戻ると、水溜りの水も無駄にはできません。