端午節

きのう久しぶりに磧口に戻ってきました。そして今日6月8日は旧暦の5月5日、「端午節」で、国が定めた祝日です。日本では端午の節句というと、男の子の祭りといった感が強いのですが、こちらでは無病息災を祈る行事です。

磧口の人に聞いてみると、特に伝統的な行事というものはなく、家族が揃って団欒を囲むというのが現代の過ごし方のようです。ひとつだけ伝統的といえば、数日前から「粽子」(ちまき)を作って親しい人たちで贈り合うのですが、おかげでこの数日来、私は毎日毎日ちまきばかり食べて、それでもまだ持って行けといわれて断わるのに難儀しました。当地のちまきは、もち粟にもち米を少し混ぜ、中に5つくらい紅棗を入れて蒸します。テニスボールくらいのかなり大きなものなので、ひとつ食べるともうお腹がはってくるのですが、これまでに私は8つくらいも食べました。やや食傷気味です。

で、「これ以外にほんとうに“伝統行事”はないの?」と昨日磧口5中の李英老師に聞いたのですが、「そういえば、この日に黄河の水で目を洗うと目がきれいになるといわれてるけど、最近は私も行ってないわ。場所は黒龍廟の下。昔はたくさんの人たちが行ったもんだけど‥‥」。夜明けからせいぜい7時頃までと聞いたので、私は今朝6時にその場所に行ってみました。そして1時間ほどカメラを構えて待っていたのですが、やって来たのはほんの5,6人でした。口をきいてはいけないそうで、みんな黙って目と顔を洗ってさっさと帰っていくので、私も別におもしろくもなんともありませんでした。やはりここでも“伝統行事”は廃れる運命にあるようです。

久しぶりに黄河の畔に立ったのですが、水の色がいつもは黄色というか泥色で、透明度はまったくないのですが、今朝は深緑色の水に近く、河べりではかなりの透明度がありました。これは上流を含めてしばらく雨が降ってないということを意味し、じっさいこのところ旱魃気味なのです。磧口界隈で農業を営んでいる人は、黄河の水をポンプでくみ上げてふんだんに使っているので(下流で断流するのも当然)問題ないのですが、その他の地域では、作付けが終わっても毎日カラカラ天気で、農民たちはうらめしそうに空を見上げています。

5日付けの写真を見ていただけばおわかりのように、“水を撒く”などということは考えられないし、そもそも生活用水だけで精一杯です。反対に、唯一の商品作物である紅棗は、秋の収穫期に雨が続くと樹上で実が割れてしまって商品にならず、昨年はそれでこれまた全滅し、自殺者まで出しました。“ハウスで出荷をコントロールして”‥‥などという日本の農業とは対極にある、雨の神様まかせ、完膚無きまでの“自然型農業”なのです。ちなみに私の温度計による本日午後3時の磧口の気象状況は;

外気温45℃、湿度5%、無風、室温25℃。

話が飛んでしまいましたが、ついでにもうひとつ。実は今日6月8日が、奇しくもちょうど3年前に北京から磧口に引っ越してきた日なのです。黄土高原暮らしもついに4年目に突入しました。

(6月8日)
写真;朝6時の黄河の畔、向こう側の山は陝西省です。下は豆腐屋さん。巨大な豆腐を切り分けて、竿秤で計って売ります。