武則天の故郷

北京から呂梁に戻る途中、文水という町に寄りました。太原と呂梁の中間、呂梁寄りに位置する町です。これまでに何度も何度も通った町なのに一度も降りたことはありませんが、今回時間があったので寄ってみることにしました。駅のホームの看板に、「武則天の故郷」と書いてあるのが、前々から気になっていたからです。

そもそも山西省というのは、人心穏やかな地とはいい難く、そうでなくともスーツケース抱えて、初めての町に日が暮れてから到着するというのは、いくら旅慣れた私とはいえ不安なものです。まずひとりでTAXIに乗るというのが最初の関門で、どこに連れていかれるかわからない。私のように歳をとって、一見お金がありそうに見える、女性というのはカモである。などと憂鬱な気分で駅舎を出ると、乗客たちがみないっせいに同じ方向に歩いてゆきます。どうやら路線バスが走っているようです。新しい駅で中心部から離れているのできっとバスはないだろうと思っていたのですが、どうやら列車の到着時間に合わせて走っているようです。ああ、よかった。

標準語がしゃべれる運転手の兄ちゃんと話していたら(ちなみに、乗客同士の会話はまったく聞き取れない)、彼の親戚で日本に行っている人がいるとかで、まずは歓迎されました。実をいうとこの界隈は、熾烈な抗日闘争が闘われたことで有名な地域で、反日感情も強いといわれています。太原から近く、また石炭があった大同と結ぶ鉄道網に近接しているところで、“三光作戦”が展開された地域です。劉胡蘭という、抗日英雄として全国的に有名な女性の生まれ故郷でもあります。

ところで、今回はしっかり時間をとったせいで、高度順化ならぬ寒度順化が無事に完了したようで、身体の方も正常な状態です。しかし、今年は中国もものすごく寒くて、特に普段は雪の降らない南の地域で大雪が降り、道路状況がめちゃめちゃになっているようです。北京も文水も寒いのですが、大雪が降った形跡はありませんでした。


さて翌日「武則天紀念館」に行ってみました。ところがまあここが、25元も入場料を取るのに、な〜〜〜んにもないからっぽな紀念館で、金返せ!といいたいくらいお粗末な施設だったのです。そもそも墓(陝西省の乾陵)があるわけでもないし、生まれ育った家があるわけでもなく、単に、父親の武氏の故郷だったわけで、武則天が生まれ育ったのは、長安、つまり今の西安だったようです。せめてきちんとした資料なりパネルなり展示してくれればいいのに、そういったものもほとんどなく、ゆかりのある他所の観光写真と、マネキン人形並べて、武則天が親の葬儀に来たときを再現しているとか、、、まったく詐欺同然でした。


“中国三大悪女”のひとりに数えられているそうですが、確かに、67歳で即位して、82歳まで生きた中国史上唯一の女帝というのですから、ものすごい烈女であったことは間違いなく、その片鱗でもしのぶことができるのかしらと期待していただけに、残念でした。ちなみに最初から最後まで、客は私ひとりでした。