ベトナムの旅 その1

10日間ほどベトナムに行ってました。“旅する学校”といわれている(?)私の職場で、この秋新しい企画が持ち上がり、その現地下見に行っていたのです。その企画というのは、大阪から国際フェリー鑑真号で上海に上陸し、その後飛行機で南寧に飛び、そこから陸路で中越国境を越え、ハノイから中部ダナンまでベトナムを縦断するという、なかなかスケールの大きなものです。


10年ほど前、友誼関という国境越えの税関があるところまでは行ったことがありますが、ベトナムに入るのは初めてです。上の写真の友誼関は、漢代に建てられた関所ですが、今も関所、つまり国境越えの税関として使われているのは中国でもここだけのようです。中国人にとっては“観光地”になっていて、界隈には遊歩道が整備され、山の高い位置から「中越国境」を俯瞰できる構造になっているのです。10年前に行ったときには、山の上にあった人民解放軍の駐屯所に“侵入”してえらく怒られました。今は、日本人は2週間以内ならビザはいりません。中国人は1日でも必要です。

上海にしばらく滞在したのち、国境を越えたのは6月3日でした。前夜は憑祥(ピンシャン)という国境の町に泊まったのですが、小さな町に小さな旅行社がひしめいていて、そのどれもが、ビザ発給の代理店なのです。

一般的な観光客のほとんどは飛行機を利用してハノイホーチミンに入るので、私が税関で見かけた中国人の多くは、おそらくは国境を越えて小商いをする人たちではないかと思います。乗ったTAXIの運転手(四川省の人)も「ここらで食べている肉は、豚も鶏もみなベトナムから来る。ずっと安いから」といっていましたが、それは現地に入ってから、なるほどと納得できました。とにかく物価が安いのです。というか、中国の物価はほんとうに高くなりました。

憑祥の町から友誼関まではTAXIを使うしか方法がないのですが、途中で国境警備兵に停められました。トランクに入れていたザックも開けられましたが、まあ、大したことはなかったです。以前にも経験していますが、南の方、とりわけ国境に通じる道は、検問が特別に厳しいのです。私が乗ったバスの中にドヤドヤ武装警官が入って来て、後列に座っていた男性を素っ裸にして検問しているところに出会ったこともありました。人権もへったくれもありません。実に、アヘン戦争以来、薬物の流入には日本人には計り知れないほど神経をとがらせているのです。


憑祥の町で胸にジンとくる光景に出会いました。日が暮れてあたりが暗くなったころ、町の中央広場にあったモニュメントの灯りの下で、一心にノートに向かう少年がいたのです。国境の町に生まれ育ったこの少年は、一生懸命勉強して、大きくなったら、やはり“国境を越える”のだろうか?そして、四川から来たおしゃべり好きの運転手がいったように、彼もまたこのゴミゴミとした、辺境の“故郷を捨てる”のだろうか?若いころまで遡れば、何度も何度も何度も陸路国境を越えて来た私ですが、いつもそこには、“不可視の国境”が垣間見えたものでした。