モノクロトーンはありません。





離石です。いつもの7天酒店に泊まっているのですが、きのう着いたときに、すぐ近くのマンションの前の広場で大きな葬儀があるのを見ました。そこそこ高そうなマンションだし、中産階級の上くらいの人の葬儀でしょう、中派手くらいのものでした。亡くなったおばあちゃんが84歳で、子どもが7人いるそうです。花輪の数は100本はゆうに超えていました。村では見たことがない生花のものもありました。こういっちゃなんですが、パチンコ屋の開店の花輪のようだと思うのは、私だけではないでしょう。八十過ぎの葬儀は“めでたい”のです。


夜になると楽隊の演奏が始まるのですが、もうものすごい人出で、祭壇のそばには近寄れません。とにかく葬儀は、ひとりでも多くの人に“見せる”儀式なのです。いつのまにやらトウモロコシやタンフールーを売りに来る人がいたりするのも“イベント”だからです。

いつものことですが、近くで、「あいつ、日本人だぞ」としゃべっているおっさんがいたので、早めに切り上げて帰りました。スキを見せるとすぐに寄って来て、「お前は釣魚島のことをどう考えるんだ?」と、飽きもせずに同じ質問を繰り返す人が跡を絶たないからです。もともと自分の考えを持っているわけではなく、単に私をからかいたいだけなので、もうウンザリです。なにしろ、900年近くも昔に、救国の英雄岳飛を裏切った秦檜の像に、いまだに唾を吐きかける人たちですから、物事をおいそれとは“水に流して”はくれません。しかし、これは中国人がしつこいという意味ではまったくありません。何かと「世間様がどうのこうの……」と横軸で物事を考えたがる日本人と、何かと「ご先祖様がどうのこうの……」と縦軸で物事を考えたがる中国人(漢族)との文化的差異の問題だと考えます。




で、ゆうべは部屋で紹興酒を1本飲んでさっさと寝ました。それで今朝は爆竹の音で目が覚めたのですが、ホテルの真向かいにある団地で結婚式(嫁取り)がありました。村では、新婦をお披露目するために、楽隊を先頭に村中を歩くわけですが、ここでは車に乗って、近くをぐるりと廻るようです。




おかしかったのはこの人たち。車が出た後に寄って来て、「紅包」というご祝儀をもらっていたのですが、かつてはいわゆる“乞食”と呼ばれていた人たちです。中には2元入っていたのですが、みんな口を揃えて少ないというのです。普通は10元くらい入っているでしょ、もっとちょうだいよ、と掛け合っているのですが、相手ももちろんひるみません。こういう要求ができるというのは、さすが中国人、日本人にはできない真似ですね。でもひとり2つずつ、4元もらったんだから、バスに4回乗れるでしょと私がいっても、この家はケチだと憤懣やるかたない様子でした。


これは、すぐ近くにある銀行の玄関。獅子には邪悪を封じ込めるという意味があるので、おめでたい結婚式の時は、こうやって「紅布」というものを顔に掛けます。婚礼の通り道にあたるところにあるものにはすべて掛けます。