老道外 その3


結局のところ時間切れで、私の疑問もすっきりとは解かれないままに北京経由で村に戻ったのですが、今はありがたいことに、インターネットという便利なものがあるのですね。で、まさかとは思いつつWikiを探ってみたら、あるんですね、これが。知る人ぞ知る道外だったわけですが、しごく簡単なものでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%A4%96%E5%8C%BA

ところが、731で知り合った、偶然にも道外区が故郷だという青年が教えてくれたサイトがあって、ありましたね、私の欲しかった情報が。これはほとんどブックレットに近い量があって、まだ全部は読み切れていないのですが、繁栄期の道外には、実にありとあらゆる店や施設があったのに驚きました。まだ“満州国”が建国される前です。


例をあげると;種々の日用品食料品を扱う店、飲食店以外に、薬局、本屋、時計眼鏡屋、靴屋、皮革屋、お茶屋、自動車販売店、銀行、郵便局、病院、学校、新聞社、劇場、映画館、写真館、風呂屋、百貨店、織物工場、染物工場、たばこ工場、ビール工場、醤油工場、製糖所、油坊……などなど、ありとあらゆる店舗工場がひしめき合っていたようです。現在までも営業しているものもあるようで、中でも「老鼎豊」という洋菓子屋は1923年、紹興からやって来た人が開いたものです。下の建築写真の7枚目、コックさんの帽子を被った女性が写っているのがその店で、私もクッキーを買ってみましたが、おいしかったです。

で、このきわめて詳細な道外紹介の記事を読み進んで行くと、中ほどにさらりとこういう文面がありました。

「桃花巷本身就是著名的餐饮服务一条街。客栈多,旅馆多,解放前自然也有烟馆和妓院。总而言之,桃花巷及其周围是道外最繁华之处,是道外的一个标志性地区。」

桃花巷というのは、道外内の一地区の名称です。翻訳の必要はないと思いますが、つまり、桃花巷とその近辺が道外では一番賑やかで、シンボル的な地区の一つだったという意味です。「烟館と妓院」は、アヘンと売春です。新中国建国後、当然のことながらこの二つが厳禁され、華やかだった桃花巷の灯も消えて、しだいに道外が“廃れて”いったということでしょうか。もちろんそれだけではないのでしょうが、一番の原因だったのかもしれません。

実は私は桃花巷地区には入ってないのです。帰りがけにバスの中から「桃花賓館」というホテルが見えたので、あの辺りなのでしょう。私が気になった建物は、もっと別の所にありました。


ただし、私が気になって答えを探したのは、道外の盛衰の歴史そのものではありません。現代の事情は別にして、“妓女”という、古今東西至る所に必ず存在した、社会の最底辺で生きてきた無数の女たちが、毎日何を考えて生きていたのだろう?夢や希望はあったのだろうか?身も心もボロボロになるまで酷使され、犬のように死んでいった、名前も個性もあったであろうひとりひとりの女たちの言葉が、どこにも残ってなくて、せめて、あの中庭を囲繞する小部屋のひとつひとつの扉をたたいてみたら、何かが聞こえるだろうかと、不思議な誘惑にかられたからです。