打棗 その3

ジャーン!どうです?最初にアップしてから1週間もたたないで、こんなになりました。この不作の年に、いかに私が努力したか、つまりウロウロ歩き回ったかはご想像いただけると思います。今年はもうこれで「もらい止め」ですね。干しっぱなしというわけにもゆかず、朝夕の出し入れがけっこう面倒なのです。

いろいろ小分けしているのは、大粒小粒(長径2〜5センチくらい)、傷あり(今年は多い)、それとやっぱりおいしいのとあまりおいしくないのとがあるのです。

棗はほったらかしにしておいても毎年実をつける手間いらずの果樹ですが、やはり陽当たりの関係と、土の関係で味がかわります。庭のものはあまりおいしくなくて、山の陽当たりの良い畑地のものがおいしいのです。また、人によっては、枝打ちなどそこそこ管理して、肥料を入れているところもあります。

この中で一番おいしいのは、スダレの右側に並べてある部分で、実は賀家湾のものではありません。これは「叢羅峪」という、村からバイクで片道2時間くらい北上した黄河に面した地域からきたものです。この界隈こそ棗の原産地といわれている地域で、棗栽培で生計をたてている農家がたくさんあるようです。何年か前に棗が全滅した年があって、自殺者が出たという話もきいたことがあるくらいですから。

叢羅峪は、一度だけちらっと寄ったことがあるのですが、黄河の眺めが実に雄大なところです。今は観光地で有名になってしまった磧口は、実は黄河の眺め自体はよくないのです。上流方向でも下流方向でも河が蛇行していて、河辺に立って見渡せる距離というのがあまり長くないからです。

そこへいくと叢羅峪は、両方向にはるばる大河を見渡すことができ、しかも黄河以外に何もないところですから、河辺に立てば、自ずと、あぁ我々の祖先もこの地にはぐくまれたのかと、悠久の時の流れをどっぷり感じられるところです。

そんな大黄河を渡る風に吹かれて大きくなった棗を、ひとつひとつタオルで磨いてぴかぴかにして、今朝庭に広げたところです。この先どんどん甘くなって、やがて太古の人々の暮らしの幻想にまぶされて、私の口元をほころばせてくれる日が来るのを待つことにしましょう。

上の写真は、磧口の上流寄りの地点から、黄河上流方向を撮ったもの。下流方向では、もっと短い距離しか見えません。

PS;この棗は昨夜、村の羊飼いのシーピンが、私のためにわざわざ叢羅峪まで行って、もらって来てくれました。なぜそんなことをしてくれるかという理由は、もうしばらくしてからお知らせします。今はまだナイショです。