正月初八

いよいよ初八(2月17日)の廟灯会が始まりました。朝っぱらからバチバチバンバン鳴り響く爆竹の音で目が覚めたのですが、なつめは相変わらず奥に引っ込んだままです。犬が大きな音を恐がるのは普通ですが、不思議ですね、当地の犬は爆竹なんてぜんぜん平気で、あの耳鳴りがしてくるほどの大音響の晋劇を、舞台のまん前で聞いてるのもいますよ。

こうやって「花花」を持って(ちょっとだけちぎってあげて、あとは持ち帰ります)、家族揃って龍王爺さんにお参りにやって来ます。お供えをあげ、紙を燃やし、線香をあげ、トントンと頭を下げて終わりで、終わると爆竹に火を点けます。

お供えの山で、花花が隠れてしまいました。こっちでは、みなちょっとずつちぎって、つまり神様が食べ易いようにしてお供えするのが流儀です。バナナやみかんも皮を剥き、クッキーなどもちょっと割ってから供えたりします。飲み物なども、必ず蓋を開け、中味をジャバッーっとかけます。見た目はぜんぜん美しくありません。

風船売りの兄ちゃんまでやって来ました。よく売れていました。子どもって、風船が好きですよね。ドラえもんが日本生まれだなんて、誰も知りませんが。

みんないい服着てますねぇ。中国でも子ども服は大人のものよりずっと高いです。

顔に化粧しているのは特に意味はありません。子ども、というより親が面白がってするだけですが、元々は何か理由があったのかも知れません。いずれ聞いておきましょう。

午後7時頃に爆竹が鳴り、いよいよ廟灯会のメインイベントの始まりです。

楽隊を先頭に、主に子どもたちがめいめいロウソクの灯りを持って、龍王爺さんの置いてあるところから出発し、途中途中でその数を増やしながら、近くにある別の廟まで行って、ぐるりと廟の背を廻って、元の場所まで戻ってきます。全体で小1時間ほどでしょうか。
写真で見ていただく通り、確かに、こんなにたくさんの子どもたちがいるのです。しかし村には学校がなく、医療も受けられず、親たちは子どもが5歳くらいになると、如何ともしがたく村を去るしか術がないのです。

8時頃、打ち上げ花火が100発くらい上がり、今年の廟灯会も無事終了しました。

ところで、私は「賀家湾はビンボー村である」と、これまでに何回も書いてきました。しかし、これらの写真をごらんになったみなさんは、きっと「ぜんぜんビンボーじゃない」と感じられたのではないでしょうか。

実はこの私自身、とても驚いているというか、むしろ戸惑っているのです。私は昨年のこの時期は帰国中でいませんでしたが、一昨年はビデオを廻しました。その時に、ビンボーだった賀家湾村も、初めて晋劇を呼ぶことができ、「村もほんとうに豊かになったものだ」という老人たちのつぶやきを何度か耳にしました。晋劇は、村人たちがお金を出し合って呼ぶもので、ほんとうのビンボー村では、できることではありません。

私が最初にこの村を訪れたのは今から7年前になりますが、その頃は希望工程小学校があった樊家山の方が、間違いなく豊かだったのです。当時の賀家湾小学校は、すきま風ビュービュー、薄暗い裸電球のヤオトン教室で、生徒が自分たちで近くの井戸まで毎日水汲みに通わなければなりませんでした。コンクリート造りで、蛍光灯の下がった樊家山小学校には、校庭に電動ポンプ式の井戸があったのです。

村全体がうら寂れて、いかにも“ビンボー村”としかいいようのない空気が漂っていました。日本軍に村人の1/3も殺されて、その後遺症がいまだに尾を引いているのだろうかと気が沈んだものでした。

それがあれよあれよという間に、ビンボー村の“汚名”を、むしろ樊家山の方に引き渡してしまったのです。これはいったいどういうことなのか?

という問いに対して、ようやく私なりのある答えを見つけることができました。それに関しては次回に。