反日感情の強い町?

三交(サンジャオ)のことは以前にも書きました。臨県の日本軍駐屯本部があったところです。行政区画でいうと、臨県三交鎮の中の三交と呼ばれている地域ですが、現在は5つの村の集合体で、臨県では2番目に大きな町です。人口は1万人ちょっと(?今度調べておきます)。

この町に最初に行ったのは、賀家湾に足を踏み入れるずっと前、磧口で暮らしていた頃です。なぜ三交へ行ったかというと、そこに、いわゆる日本人“残留婦人”をお母さんに持つ、崔さんという人がいたからです。3兄弟が今も三交で暮らしています。

彼らのお父さんの崔さんは、三交の人ですが、強制連行されて遼寧省の撫順炭鉱で働かされていた間に終戦になりました。一方、石川県から家族上げて“満州”にやってきていたお母さんの家族は、帰り損ねて、やはり炭鉱で働くようになり、やがて、そのお母さんになる人だけが残って、他の人たちは全員引き揚げたのです。もっとも、後に知ったところによると、そのうちの3人は、ついに日本の土を踏むことはできなかったようです。(残留した女性も早くに亡くなっています。)

で、その私とちょうど同じ歳になる崔さんと会ったときに、「ここはとても反日感情が強いところだから、日本人といわないように」ときつく言われたのです。そしてそれ以上に私の足を遠のかせたのは、崔さんの2人の弟は町で商売をしているし、今は普通に暮らしているのだから、まわりで日本人にウロウロされたくない。そっとしておいて欲しい。という感情が顕わだったということです。

以来、何年もの間、三交の町の中に入ることはありませんでした。ただ、臨県に行くバスは、必ず三交に停まるので、町の様子がどんどん“発展”していっているのはわかっていました。

そして、2冊目の本を出すと決めたときに、崔さん兄弟の境遇を慮って、いちおう筋は通したので、もういいのではないかという思いはありました。なんといっても、侵略の最大拠点があった町です。ここを抜きにしては悔いが残るでしょう。そこで、何かいいチャンスはないかと、あちこちにアンテナを張り巡らせてはおいたのです。

ようやくチャンスが巡ってきました。臨県で知り合った若い女性が、85歳のおじいさんを紹介してくれることになったのです。ここに来るまでにいろいろあったのですが、今回は3月に出した本が大いに役に立ちました。彼らにしてみれば、どうしたって私への不審感がぬぐいきれないのは当然のことで、私は本を見せて、「東京大学」だの「北京大学」だの「清華大学」だの、権威の権化のような名前を並べたてました。そんなことで不安が払拭されるならありがたいことです。最も、こちらの人たちには、アカデミズムの権威はあまり大したことはなく、大学教授より炭鉱のオーナーの方が格が上です。

前置きがこーーんなに長くなりましたが、昨日、康建国老人の取材に行ってきました。同行してくれたのは、薛老師の22歳の甥のリジュンです。出稼ぎと出稼ぎの合間に時間があったので行ってくれました。このリジュンがまたとても面白い子なのです。中学しか出ていないけれど、昔から本を読むことが好きで、大の情報通です。テレビでも、国際ニュースの時間が一番楽しみなんだそうです。

康老人の話の詳細は、例によって、標準語への翻訳を待たないとわかりません。聞き取れたことは、彼は1942年に遊撃隊に参加して日本軍と戦ったことがあり、一度は、ヤオトンの庭を日本軍に包囲されて、九死に一生を得た経験の持ち主です。みんな殺されてしまった、と老人は話しながら涙を見せました。首筋と腿に、弾丸がかすめた跡もまだはっきり残っていました。辛いことを思い出させてしまったなぁと思うと同時に、一時も忘れたことはないのかもしれないとも思いました。そしてその記憶をこうして聞き取って、文字にすることには、やっぱり意味があるなぁと、しみじみ思い返しています。

実をいうと、康老人は、すでに自力では起き上がることができず、記憶ははっきりしていましたが、話をするのもかなり辛そうでした。それで、もう一度来るからということで、早めに切り上げたのですが、どうやら、私が取材に来ることを機に、子どもたちがわざわざ集まってきていたようです。

これが家族写真で、左端の男性が、臨県で知り合った女性のお父さん。彼は、町中で小さなレストランを経営していて、私が到着すると、お茶だタバコだ食事だ、と大変な歓迎振りで、あっけにとられるくらいだったのです。“反日感情が強い町”というのは何だったんでしょう?

この写真を大きく伸ばして、私は近々康老人を再訪するつもりです。老人とは別に、お父さんにも空港で買った珍しい外国タバコを1個渡して来ました。1個300円もする高級品です。きっと誰か別の人を探しておいてくれることでしょう。最後の“難関”と考えていた三交で、こんなにフランクで優しい人たちと出会えて、ほんとうに私は幸運者です。
(8月14日)