春節は来たけれど。

今日は春節、中国のお正月です。ですから何か明るくめでたいことでも書きたいのですが、なかなかそうもいかないのです。この時期、思いのほか楽チンに村に帰ったことはきのうアップしましたが、実はその後に“艱難辛苦”が待ち受けていたのです。

予想通りではありましたが、室温は3℃。到着した夜9時の外気温は−12℃でした。ですから、外気温の割には室内は保温されていたということになりますが、このヤオトンの室内を暖めるにはかなりの時間と熱量が必要なのです。すべて土でできているわけですから。

さっそく村内で石炭の小売を扱っている家に行きました。去年もここで買ったのです。ところがあっさり、今年はもう商売をやめたというのです。じゃあどこで買ったらいいかと聞くと、招賢まで行けば誰か商っているだろうが、今はもう運んでくれるかどうかわからない、というのです。そもそも村を離れる前に用意しなかったのは、私の住むヤオトンの天井や壁が崩れかけているので、戻ってきたらまた考えようという大家さんの意向があって、買えなかったのです。部屋は春まで継続できることになりましたが、小さな電気ストーブだけでは、私の身体の方が春まで継続できそうにありません。とにかく2日分くらいをめぐんでもらって、私は招賢まで行きました。

ところが、商っている人はいたのですが、1トンしか売れないというのです。私は調理には使わないし、春以降どこに住むかわからないのに、そんなにはいりません。1/5トンもあれば十分なのです。しかし売り手は強気で、じゃあ半トンならというのですが、運送料は別に払うからといっても、それ以上下げません。

けっきょく私は石炭はあきらめて、マキを焚くことにしました。実はウチの庭には焚き物用の木材がごろごろころがっていて、大家さんも使っていいといっているのです。しかしこれを小さくするためには、のこぎりや鉈を用意しなければなりません。それで、とりあえずは、古木の樹皮を剥いで使うことにしました。これはほんとうによく燃えますが、これを使い切ったらそれからが重労働だなぁとウンザリしていたところに、1/4トンなら運んでくれるという“優しい”おじさんが見つかったのです。それで、昨日大晦日にようやく石炭が到着し、これを書いている今はガンガン焚き続けて室温は10℃まで上がりました(最も、火が消えればすぐに下がりますが)。やれやれ、これで人並みの暮らしができそうです。

ところで、石炭1トンがいくらするかというと、今年は800元。これが政府の決めた公定価格なのかどうかわかりませんが(今度聞いておきます)、村人の収入からするととんでもなく高い値段なのです。家族4、5人で、炊事にも使うとすると、夏場も必要なわけですから、おそらくは年間2トンくらいか?

しかし、出稼ぎに行って、土方労働で日給6〜70元。毎日仕事があるわけではないので、ほぼ月収に相当する金額が石炭代ということになりますが、もちろん稼ぎ手がない家庭もあります。つまり、周りにこれだけ炭鉱があり、それどころか地盤崩落の危険に耐えながら日々暮らしている村人たちの多くは、石炭が買えないのです。

いわゆるフツーの石炭の塊を買っている家庭はそれほど多くなく、粉炭というのでしょうか、採炭の過程で出る粉になった石炭を買い、それに水を加えて固めて、いわば豆炭のようなものを作って使っているのです。それも買えなくて、マキや枯葉などを集めて使っている人もいます。そもそも樹木などそんなにない黄土高原で。不思議に思われますか?

実はここに来て、ヤオトンの合理性が明白になってくるのです。私は2ヶ月も部屋を空けていたので、3℃まで下がりましたが、フツーの村人はそんなに長く留守にすることはありません。そして秋口になると部屋の中で炊事をするようになり、またそもそも人が生活している限り、冬になっても室温が大きく下がることはないのです。ですから、私のように一気に石炭を焚いたりする必要はなく、たとえわずかなマキや枯れ草でも、毎日毎日焚き続けていれば、寒さに震えるということはありません。反対に夏は扇風機どころかうちわもいりません。

このきわめて合理的なヤオトンという建築様式があったおかげで、この過酷な黄土高原で、人々はウン千年もの歴史を刻むことができたのでしょうね。

(2月3日)