中国人はなぜ勉強が好きなのか?

ビザの延長のために帰国。あれこれの雑用と、今や恒例ともなってしまった“病院のはしご”も一段落し、ようやくホッと一息ですが、来月早々にはまた中国に戻ります。というのも、2月14日の春節を村で迎えたいのですが、北京から離石までのチケットの確保が日に日に難しくなるからです。今頃はもうすでに北京駅には臨時の切符販売ブースがズラ〜〜リと何十個も並んで、学生たちはそろそろ帰郷し始めているのではないでしょうか?学生はもちろんのこと、故郷に家族を残して都会に出た農民工たちも、春節には必ず家に帰り、家族そろって新しい年を迎えるという習慣は、日本のそれより、ずっとずっと重要で何物にも代えがたい絶対的価値なのです。

それにしても、なぜあれほどまでに故郷へ帰らなければならないのか?春節前ともなれば長蛇の列を成し、ヘトヘトになって切符を買い求め、我も我もと遠い故郷へ大荷物抱えて、まるで回遊魚の如く大挙帰郷するのはなぜか?日本ならば、長期休暇は、趣味や旅行など余暇の時間ととらえる人も多く、とりわけ若者たちは、親の住む家ではなく、スキー場へ(今は流行らない?)、沖縄へ、グァムへと飛び立ってゆくのにと、ちょっと不思議に思っていたのですが、謎が解けました。

今回日本に到着早々、東京で南京大学の社会心理学の教授の講演を聞く機会があったのですが、実にリアリティを伴って、ひとつひとつがとても納得のできるお話だったのです。

中国では(これはおそらく、漢族ではという意味?)「家庭」が唯一の社会関係といってもよく、家庭をかえりみずに自分(たち)だけで何かをやるというのは考え難いのだそうです。特に人口の7割を占める農民たちにとっては、生産から生活のすべてが家庭内にあり、“遊び”も“楽しみ”も家庭の内にあるので、家庭から離れる必要がないのです。そこから出て危険に身をさらす西欧型の“冒険”というのは、理解できないそうです。逆にいうと、家庭をかえりみない人は有名になり、“労働英雄”となれるのですが、それはつまり極少数派ということであり、個々の「家庭」をバラバラに分断した毛沢東人民公社が失敗したのも、当然といえば当然のことでしょう。日本ならば、いたるところ“労働英雄”だらけになるでしょうが。

それと、中国人はなぜあんなに“勉強”するのか?と常々不思議に思っていたのですが、これはやはり「科挙制度」の伝統が今に生きているから、ということのようです。例えば、小学校の時間割というのはほぼ全国共通ですが、賀家湾小学校の授業が始まるのは、だいたい朝7時頃です。それから10時頃まで授業があって、その後は2時間くらいの休みがあり、それぞれ家に帰って食事をし、午後からまた授業。そして4時半頃には夕食のために家に帰り、なんと、それからまた夜の授業があるのです。だいたいが自習時間のようですが、帰ってくるのは7時、8時で、つまり、今の時期だと小学校への登下校には懐中電灯が必要ということになります。中学(中国は中高一貫)、大学はいうに及ばずです。なぜそんなに“勉強”するのか?

それはなぜかというと、古来中華帝国では、士農工商の民衆の上に官僚がのっかる政治体制をとってきたのですが、その「民」と「官」との接点に「科挙制度」というものがあり、下層の人間でも試験に合格さえすれば上層の人間になれるチャンスがあったのです。民にとってこの魅力は絶大で、自ずから人生で一番大事なことは“勉強”することになり、この魅力に勝る娯楽は発達しなかったのです。そういえば、70歳80歳になるまで科挙試験を受け続けるという小説を読んだことがありますが、“娯楽”と考えれば、これはフィクションではなく、そんな人たちが実際にたくさんいたのかもしれません。

この科挙制度から女性は排除されていたのですが、女性は男の子を産むことによって自らの希望を託し、失敗すればまた次の子を産んで未来への夢を繋げることができた。というのが、この南京大学の先生のお話でしたが、現在では女性の方が強く、成績も優秀なので、将来の官僚は女性ばかりになるだろうとおっしゃっていました。

この最後の部分に関しては、どうやら先生の実体験から導き出されたご意見のようで、講演の翌日、カメラや時計などを買いたいという先生のお伴をして秋葉原に行ったのですが、すべからく、オクサマのご希望が優先されているように感じられました。

ということで、来月10日頃には村に戻りますので、また村の春節の様子をお届けします。いつものことですが、日本に帰ってしまうと、何か思い出して村のことを書こうとしても、ぜんぜん書けなくなるのです。創造力も想像力も完全に枯渇してしまうのです。だから、どちらかというと、早く村に帰りたいです。なつめ、どうしてるかなぁ〜〜?

(1月26日)