ところ変われば‥‥

前々からずーーっと不思議に思っていたことがあります。いえ、たくさんあるのですが、その中のひとつをご紹介します。

ウチの学校の研修旅行は今年で7回目ですが、いつもだいたい20人くらいで、私は一度に100万円くらいのお金を預かることになります。それでその日本円を人民元に換えることになるわけですが、私はずっと“闇両替屋”のお世話になっていました。率がいくらかいいという以上に、銀行で順番待ちをして書類にサインしてというのが面倒で、いつもそんな時間がなかったからです。

以前北京にいた頃ももっぱらそういう場所のお世話になっていたのですが、その頃は、明らかに“非法”でした。外からはわからないなんでもない部屋の脇にいつも見張りの兄ちゃんが座っていて、ときには手入れがあるからと閉まっていたり、突然場所が変わったりしていました。

ところがここ数年、私はいつも瀋陽まで来て、劉さんというおっさんに電話をして換えてもらうのですが、それをどこで行うかというと、銀行の窓口で行うのです。第一私もさすがに他人のお金を一度にウン十万も換えるのに、ニセ札を掴まされたらエライことになるので、危険をおかすことはできません。

どういう手順を踏むかというと、私がまず劉さんにいくら欲しいというと、彼は銀行の行員にいって、パソコンで現在のレートをモニターに出してもらい、それを私に見せるのです。そしてその上に、だいたい1万円で10元ちょっとを上乗せして計算し、その金額を私が見ている前で、自分の銀行通帳から引き出します。そして、私は銀行員から直接人民元を受け取るわけで、ニセ札の心配はありません。

今日、劉さんに聞いてみたら、非法じゃないというのですが、そりゃあそうでしょう、あれだけ堂々と銀行員とグルになってやっているのだから。いつからか合法化されたということでしょうが、いったいなぜそういうシステムの導入が許可されたのか、気になるところです。

その後、私はその大金を背負ってタクシーに乗り、バイクのヘルメットを探しに中街のショッピングセンターに行きました。そのときに乗ったタクシーの運ちゃんが、とても面白い話をしてくれたのです。

彼のおじいさんは、日本軍がこの地にやってきた時、徴用されて満鉄のボイラーマンになり、毎日せっせとSLのボイラーに石炭をくべる仕事をしていたのだそうです。そのおかげで45年、日本軍が撤退した後もそのままボイラーマンの仕事を続け、退職してからも高額の国家年金がもらえて生活に不自由することはなかったそうです。ですから、そのおじいさんは死ぬまで日本人にとても感謝していたというのです。

う〜〜ん、なかなか。ところ変われば品変わり法が変わり、歴史まで変わってくるとは‥‥。奇しくも今日は918、満州事変勃発の日です。

そしておまけ。最後に乗ったバスの運転手は、信号待ちのたびに雑誌を広げて熱心に読んでいました。タイトルは“貧乏物語”でした。

写真;最初の写真が、いつも劉さんがいる中国工商銀行中国銀行を抜いて、中国のトップ銀行になりました。
なぜか中国のショッピングビルは、真ん中が大きく吹き抜けになっているのです。とにかく土地が広いからこういう贅沢ができるんですね。

(9月18日)