ある一日のある出来事

離石に行く用事があったので、8時半頃、招賢の町まで下りました。ところがちょうどバスが停まっているあたりで道路が塞がっていてにっちもさっちもいきません。この町には比較的大きな炭鉱が2つあって、タイヤが20個くらいついた巨大な「拉煤車」が石炭を満載してひっきりなしに行き来します。ところが町の中に一ヵ所「く」の字形に道路が曲がっているところがあって、いつもそこで詰まってしまうのです。私は今回は急いでないので、じっくり待つことにしました。

先が塞がっているのはわかっているのだから、新たに進入することは止めて当然なのに、5分に1台くらい、新しい拉煤車がやって来てその群れの中に突入します。これもいつも不思議に思うのですが、彼らの辞書には、「待つ」とか「譲る」とかいう言葉はないようで、ただただ「前進」あるのみです。

フト気がつくと、その拉煤車がやってくるたびに、松葉杖をついて助手席に近づいてお金をもらっている人がいました。よく見ると樊家山の薛さんです。

「あれっ!こんなとこで何してるの?」
「家にいても何もすることないからね。こうやって仕事してるのさ」
「みんないくらくれるの?」
「1元から5元くらい」
「じゃあ、いい商売だね」
「まあね」

もちろん薛さんが勝手に徴収している通行料ですが、彼が炭鉱で怪我をしたことが暗黙の了解になっているのでしょうか、どのトラックもお金を払っていました。もっとも、くれないと薛さんがトラックの前に立ち塞がって動いてくれないので、払わざるを得ません。そういえばしばらく前に会ったときに、彼は新しいオート三輪車を買ったといっていました。

目の前に停まっているトラックに、若い頃の高倉健みたいなかっこいい若者が乗っていました。いくらくらいの仕事になるのか聞いてみると、ここから100キロくらい離れた町まで運んで300元だそうです。車もガソリンも自分もちで、運送そのものは楽だけれど、石炭を積み込む仕事が重労働で、けっきょく1日おきの仕事になり、そんなにいい稼ぎにはならないといっていました。

そのうちに町一番の金持ち、勝利炭鉱の老板がTOYOTAの白いPRADOで突っ込んできました。さすがに彼はその元凶を理解していたのか、車を降りていろいろ指示を出し、順番に車体を移動させて、ようやく道路は開通しました。この間40分くらいだったと思います。

いよいよ離石行きのバスも出発しました。それでもまだのろのろ状態です。すると、客のひとりが突然「俺に運転させろ」といって運転手を追い出しました。彼はひとしきりシフトレバーやハンドル廻りを確かめた後、グォーーーン!と発車させ、隣にいた10歳くらいの息子に「どうだ、父さんうまいだろう‥‥」とかなんとかいっていて、そのガキがまた調子に乗って、車掌を真似てドアの開け閉めをし出したのです。曲がりなりにも“公共交通機関”の路線バスが、完全に遊園地のおもちゃとなってしまったのです。日本では(北京、上海でも)天地がひっくり返ってもあり得ないことですが、私はもうこれくらいのことでは驚きません。(日食で飛行機が落ちたって驚きません。)

幸いなことに、おじさんはけっこう運転が上手で、バスは何事もなく離石に到着しました。そして私はやれやれとバスを降りて10分ほど歩いてから、シマッタァーーーーーーーー!!!と、ズボンのポケットを押さえたのです。

「大切なものはぜったいにズボンのポケットに入れてはいけない」と、常々、固く固く心にいましめていたはずなのですが、朝っぱらからいろいろあったし、今朝も暑くてうんざりだし、ついついうっかり、ポケットカメラをポケットに入れたまま歩いていたのです。ほんとうに一瞬のことでした。

ということで、今日はいろいろおもしろい写真をたくさん撮ったのですが、残念ながらアップすることができません。人口が10倍以上いれば、どろぼうも10倍以上。ものがあるところからないところへ流れるのはけだし当然。と、これくらいのおおらかな心がなければ、残念ながらこの地にはなじめないでしょう。

(7月28日)