共同体の祭り

yasutomiさんからご質問のあった“送り火”のことですが、こちらでは、「擺路灯」(バイルーダン)といいます。「擺」という字は、並べるという意味です。(ちなみに、yasutomiさんは、黄河をはさんだちょうど反対側の陝西省楊家溝という村を中心に、黄土高原の民俗風習などを研究していらっしゃいます)

こちらの葬儀には日本にはない様々な儀式がありますが、その中で私が“美しい”なと思うのが、この「擺路灯」と「拉霊布」(ラーリンプ)です。

「擺路灯」は、本葬の日没後、つまり埋葬の前夜に、死者があの世に還っていく道しるべをたてるために近親者たちで執り行われます。楽隊が先頭になってちょっと物悲しいメロディーを奏で、その後ろにたいていは2人の男性が、乾燥させたトウモロコシの芯を細かく切って油をしみこませたものを籠に入れて着き、それをまた別の人が順々にスコップですくって火を付け、少しづつ道の両側に落としてゆくのです。その後ろに「孝衣」という白い葬着を来た近親者たちが着いて、だいたい2,30分くらい村を回るのですが、当然回り方が決まっているようで、行きと戻りは違うルートをとります。

このトウモロコシの芯は5分くらいは燃えるので、遠くから見ると闇の中に点々と小さな灯りが繋がり、白装束がほのかに浮かび上がってとても幻想的な光景になります。いったいいつ頃からこういう風習が始まったのかわかりませんが、この世に別れを告げる人たちに、「道に迷うことなく無事に還るんだよ」と語りかけているような、遠い昔からの弔いの原点を見る気がします。

「拉霊布」は、棺の進行方向に幅1メートルくらいの白布を、巻いた状態で付け、出棺の時に男性の子や孫がそれをシューーッ!と一気に引っ張って両腕で頭の上にかかげ、そして葬列を牽引することになります。つまりこの布が長ければ長いほど子孫繁栄の印であるわけです(女は引きません)。布はすぐに取り外されます(しばらく持っていた例もありました)。女性は出棺の前に、棺の前に揃って跪いて声をあげて哭きます(被葬者の妻は哭きません)。昔は、いわゆる“哭き女”というのを職業にしている女性がいたそうで、金持ちの家や、女の子がいない家などではお金を払って哭いてもらったそうです。

出棺は夜明けとともに始まるので、このふたつの儀式は時に午前5時、6時に執り行われ、とりわけ真冬の埋葬の、凍てつく静寂と薄明を切り裂くような“慟哭”と拉霊布は、まるで映画の1シーンを観るように美しいものです。

で、ここでyasutomiさんのコメントに戻るのですが、私の胸をジンと熱くさせる一連の儀式も、実にカラッとしていて、日本の葬儀のようなウェットなところがぜんぜんないのです。“慟哭”もあくまで儀式です。私はこの3年の間に何度も何度も葬儀を見てきましたが、この地においては、葬儀はあくまでも“共同体の祭り”なのです。ただし、こちらでは子供が死んでも葬儀はおろか墓も作りません。若くして親より先に死んだ人、未婚の女性、不慮の事故で死んだ人も行いません(ないしは極々内輪で簡単に済ませます)。つまり、楽隊を呼んで、村人に食事をふるまうような葬儀というのは、“天寿を全うした”老人たちだけのために執り行われるのです。

(5月28日)
写真:現在手元に葬儀の写真がまったくありません。この写真はいつも行く山の畑にある墓。特に墓地というものはなく、耕作地の中に点在しています。土まんじゅうのてっぺんに草棗などの木を植え、お供えを置くための小さな台のようなものがあるだけです。墓銘碑というものはありません。ただ最近は、お金がある家では何周忌かに立派なものを建てるのがはやっているようです。年月と共に山が崩れてだんだん小さくなり、やがて大地と一体化します。