撫順2 付「三十路」さんへ





旧撫順駅。隣に撫順南駅がほぼ完成していますが、市民の反対で取り壊しをまぬがれ、現在資料館として修復中。


党幹部の“金権腐敗”を嘆いていた、バイタク(バイクに車体をつけたタクシー)のおっさん。定年退職して始めた仕事。



今年も会えました。龍鳳竪坑櫓。夏だけ櫓の下で暮らすかつての関係者、徐さんにも会えました。




新屯という、かつての日本人居住区で、何気なくのぞいた家のおばちゃんの孫娘の連れ合いが、“残留孤児”で、いまは大阪に住んでいるとか。こんな偶然にもたびたび出会えるのが、やはり旧“満州”の地です。

三十路さんのコメント
昨年3月にアップした龍鳳櫓のコメント欄に、10月16日付けで以下のようなコメントが入っていることを今回初めて知りました。

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maotouying様 はじめまして。お尋ねしたいことがあり、書き込みさせて頂きます。
こちらのページ「撫順その3」でご紹介されている「龍鳳炭鉱」の、より詳しい場所を、教えて頂けませんでしょうか。
私の祖父は当時満鉄職員で、龍鳳炭鉱の労務係として働いておりました。引き揚げ後は一度も撫順の地は踏んでおりません。
孫である私がその地の今を見たいと思い、昨年単身で撫順を訪れました。一日かけて探したのですが、この写真にあるシンボリックな竪坑の姿を見つけ出すことができませんでした。
もう無くなったのかと思っていましたが、こちらのブログで写真を拝見し、まだ存在することを知りました。
老虎台・新屯公園を経て、新屯の住宅街、橋を渡って東露天鉱を見下ろす斜面までは辿り着いたのですが・・・。煤都路をもっと先まで進んでいかねばならなかったのでしょうか。
どんな現地の地図を探しても、見つけられません。中国語も話せないため、現地での情報収集も難しく困っております。

来月11月の頭にもう一度単身乗り込む予定です。今回こそ、祖父の記憶に刻まれた竪坑を見つけ出し、その写真を90歳を迎えた祖父に見せてあげたいと思っています。
よろしければ、もう少し詳しい位置情報をご教示いただけませんでしょうか。突然の厚かましいお願いで恐縮ですが、お力をお借りしたく、何卒宜しくお願いいたします。

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もうすでに現地にいらっしゃったのではないかと思いますし、いまはもうこのブログをごらんになっていない可能性も強いのですが、気がつかずに申し訳ないことをしました。

龍鳳炭坑は、東露天からもう少し先に行ったところです。撫順のタクシーの運転手ならば、誰でも知っているくらい奇抜な建物なのですが、それがわからなかったというのは少し不思議です。偶然にも撫順の人ではなかったのでしょうか?
撫順駅(撫順南站)から、18路「茨溝」というバスが頻発しているので、それに乗っても40分くらい。バスの中で写真を見せれば誰でもわかると思います。天気が良ければ、左手にかなり遠くから見えるようになります。

炭坑が閉鎖される前まで管理職として働いていた徐さんによると、政府はこの建物を修理して、観光資源として生かしたい考えのようです。ですから、建物自体は取り壊される予定はないようですが、むしろ、中国人好みに、ピカピカにペンキを塗られる可能性があるので、早めに行かれたほうがいいと思います。