撫順 その2

ご承知のように、撫順は世界一といわれる露天掘り炭鉱で有名ですが、今回、3回もその前を通ったのに、いずれもよく見えませんでした。なぜかというと、巨大なすり鉢状の炭鉱に雪が積もっていて、天気がいいと日中それが溶けてどんどん蒸発してぼんやり霞んでしまうからです。なにしろすり鉢の長径が6キロあるそうですから、対岸などはるか霞のかなたです。ただ、ウチのツアーでやって来るのは毎年9月ですから、だいたいよく晴れていて、底の方からループ状になった線路を登ってくる石炭列車が、トイ列車くらいからだんだん大きくなってくるのがよくわかります。

もちろん露天掘り以外にもたくさんの炭鉱があって、私は今回、「老虎台」という炭鉱に行ってみたいと思っていました。私のブログにたびたび登場する三交という町(臨県における日本軍駐屯本部があった)に、ひとりの日本人“残留婦人”がいて(すでに亡くなっている)、彼女の一家が戦後帰りそこねて、この老虎台炭鉱で(父親が)働いていたからです。そこで知り合った崔さんという男性と、長女だった人が結婚して、後に崔さんの故郷である三交に戻って暮らし始めました。つまり、崔さんは、三交から撫順まで強制連行されていたわけです。この残留婦人の長男にあたる人が、ちょうど私と同じ歳で、彼には何度か会ったことがありますが、ヒトコトの日本語も話せません。お母さんが、子ども達が虐められるのを恐れて、家族の前で、まったく日本語をしゃべらなかったからです。

老虎台炭鉱は今も操業していました。高いレンガ塀で囲まれていたため、内には入れませんでしたが、その代わりというか、界隈にポツポツと当時の建造物を見つけることができました。やはり建物の周りに樹が植えられています。

これらの建物は、最後の1枚を除いてほとんどが無住で、すでに取り壊しが決まっているそうです。

満鉄の技師として、石川県から渡ったという、“残留婦人”の一家も、これらのうちの一軒に住んでいたのかもしれません。(もちろん戦後立場が変わってからは、彼らが住んだのは粗末な掘っ立て小屋で、それを見かねて崔さんが親切にしてくれたようです。)

給水塔は何ヵ所かにあったので、この2種類の写真が、同じものかどうかははっきりしません。どうやら違うようですね。もちろん今は使われていませんが、崩れずに建っているというのが“満鉄の力量”ではあると思いました。

*今回短期間にたくさんのところ行ったため、私の記憶が混乱していて、これらの写真は、どうやら老虎台ではなく望花区(撫順その4)のもののようです。それほど隔たったところではなく、状況は近似しているので、あえて訂正しません。ご承知おきください。