白宝有老人(83歳)の話

最初に日本人が村に来たときは私はまだ小さかった。日本人は村人を刀で刺し殺してから紐で繋いで黄河に放り込んだ。最初の一回が一番残酷だった。あのときは全部で十数人が殺された。それからは、まだ日本人がやってくる前に村人はぜんぶ逃げた。

私が21歳になった年の11月のある日、日本人がここにやって来た。私はそのときちょうど病気で、動くのもままならず、ひとりだけ家のカン(オンドル式のベッド)の上で横になっていた。まず2人の日本人がやって来て、私をカンの上から引きずり落として帰って行った。

1時間ほどしてまたひとりやって来た。黄土色のコートを着て、銃を担ぎ、頭に銅の帽子を被り、足には革の靴を履き、見たところ位の高い兵隊だった。彼は部屋に入ると私を担ぎ起こしてカンに座らせ、私の顔をじっと見た。そして周りをきょろきょろ窺って、コートの中から薬のビンを取り出した。4粒の小さな丸薬を取り出して私に見せ、自分がまず一粒呑んでみせた。彼は出て行ったが、私がいた部屋の扉の上に数個の文字を書いた。「病人がいる部屋」という意味だった。彼がいなくなって5分後くらいに日本人の大部隊がやって来た。私の家の庭にもたくさんやって来た。焚き物を捜して火を起こし、飯を作って酒を飲んでいた。ただし、私のいる部屋には誰一人入って来なかった。

庭の中で何やらわからない言葉で叫んだり騒いだりしていたが、午後の4時か5時頃に部隊はいなくなった。その人はまたやって来て扉を開けて覗き込み、私がまだ部屋にいるのを見届けてまた扉を閉めた。しばらくしてまた彼はやって来て、何か紙に書いたものを渡した。それには、「もし病気がよくなればこれは捨てなさい。もし良くならなければ離石に来て自分を捜しなさい」と書いてあった。その人はお坊さんで、自分自身は戦争に参加したくないけど、軍人がだんだん足りなくなって徴兵されたといっていた。彼は医術も知っていて、傷ついた人を助けたりしていた。中国語も話せた。紙に書けばだいたいのことはお互いに理解できた。

6時に大部隊はこの村を出発した。最後にもう一度彼がやって来て、扉を開いて見回した後、布を取り出して扉の上に書いておいた文字を消してからいなくなった。それ以降はもう来なかった。

7時過ぎに家族が戻ってきた。私は今日あったことを説明して薬を呑もうとした。家人は毒ではないかと恐れて呑むなといったが、私は呑むつもりだった。自分の目で彼が呑んで何事もなかったのを見ていたので、毒ではないと知っていた。けっきょく私は一粒の丸薬を口に入れた。そうすると一時も立たないうちに全身に力がみなぎる感じがして元気が出てきた。夜の10時頃にはすっかり病気はよくなったような感じがした。何か食べたくなったし、飲みたくなって、ますます力がわいてきて仕事もできるような気がした。

数日後、私は街でこのことをみんなに話した。私の親戚の中に病気の人がひとりいて、その薬を欲しがった。持って行って呑んだが、多分病気が違っていたせいだろう、効果はなかった。私はたった一粒呑んだだけで長く患っていた病気があっという間に治った。その人が私の命を救ってくれたのだ。

(2007年12月29日採録 聞き取りの一部です)