廃れゆく伝統?

今年は初七(春節から7日目)と初八に唱劇があると聞いていたのですが、前日の初六になってもそれらしき動きが見えません。唱劇、つまり晋劇(京劇との違いは私にはわからない)を廟に奉納するわけですが、ピンキリはありますが、いずれにしろかなり大掛かりなもので、舞台の設営の為に、前日には大道具小道具衣装などを満載した大型のトラックが到着して、10人20人という人数で忙しく動き回ります。これを見ているだけでも心がわくわくさせられるもので、私も随分とビデオに撮らせてもらいました。当然劇団を呼ぶのにはかなりの費用を要します。ところが今回は舞台設営もなく、やけに静まっていましたが、それでも村人に振る舞われるための「湯菜」という、いわば黄土高原版トン汁の用意は、プロが来て準備を始めていました。

ヘンだなぁと思って、以前村長の経験がある村の幹部に聞いてみると、今年は晋劇はなく、二人台だというのです。しかも、これまでは3日間だったのに、2日間に短縮です。なぜかと聞いてみても、金がないからとかいって笑っていましたが、賀家湾村は、今や近隣では金持ち村の方です。なぜかというと、第一の理由は毎年炭鉱から補償金が入るからです。あと、石炭産業で儲けている人が数人います。離石に比較的近いので、村を出やすく、また、自由に帰って来ることも容易です。

私が思うに、金がないからではなく、みな忙しいのです。金儲けのために。春節は初一で、もうそれから7日も経っているわけで、一般の会社はすでに仕事が始まっています。賀家湾の場合、村の廟のお祭りはこの初七あたりと決まっているので、春節に合わせることはできないのです。家族で帰郷する人の姿も、これまでと比べれば雲泥の差で、停まっている車の数もわずかでした。情報はそれぞれの家庭にくまなく行き渡っているので、今年は帰郷をひかえている人が多いのでしょう。

そうそう、毎年このときに村人からお金を集めるのですが、フツーは50元ほど、人によっては30元、20元という家もあります。もちろん村の出世頭などは、数千元、時には1万、2万元なんてのもありました。収入に応じた分を出す、という伝統だけは守られているようです。近隣の村の委員会、それから炭鉱からは大口が入ります。それを紅い短冊に名前と金額を書いて貼り出します。私は早々に100元を持って受付というか、祭壇が設けてある部屋に行って払いました。ところがあとでわかったことですが、今年はお金を集めなかったそうです。もちろん一部の村を離れている金持ち連中は持ってきましたが、例年のように、短冊に名前を書いて貼り出すということをしなかったのです。逆にいうと、それだけお金のかからない小規模なものに縮小されたということです。私は100元ソンしました。

二人台というのは、ふたり舞台という意味でしょうかね、フツーは男女ふたりで掛け合いの寸劇が演じられます。今回は8人くらいの演者がいて、交互に何かやっていましたが、私はさっぱり聞き取ることもできないし、悪いけど2流3流どころで、遠慮しました。若い人たちが多く、彼らの本領は現代風歌謡ショーです。最近は葬儀でもこの“歌舞”という出し物が増えました。




日が暮れてから爆竹の大音量を合図に、秧歌が始まりましたが、これも踊っている村人はほんとうにわずかでがっかりです。以前なら劇台前の広場いっぱいに広がって、いつまでやるんだろうと思うくらい延々と踊り続けたものです。ちなみにこの秧歌は、徳島の阿波踊りと共通するところがあって、女性の踊り方は比較的静かで動きもそれほど大きくないのですが、男性は歩幅をとって大きな捻り方をします。その捻り方がなかなか見事で、えっあの人が?と思うような人が意外と捻りの名手だったりします。今回も、私に意地悪をしてなかなか水をくれない給水車のおっさんがものすごく上手なのを発見しました。



傘を持って踊るというのは、この地方の特徴で、“傘頭秧歌”と呼ばれています。


中央に石炭を積み上げて暖をとり、年寄り連中が30人ほど見ていましたが、なぜか歳をとると踊らないです。何か意味があるのかもしれません。



翌日は歌謡ショーなのでますます面白くなく、私は離石にやって来ました。途中、隣村の崖っぷちで葬儀がありました。右端に白い幟のようなものが立っていますが、これは故人の年齢+2(天と地)個のリングが蛇腹状の塔の形に繋がれたもので、これだけ高いということは、まちがいなく“めでた葬儀”です。しかし葬儀も私が当地に来た頃と比べると、一見派手で煌びやかなものにはなりましたが、儀式そのものはどんどん簡略化され、若い喪主などはどうしていいかわからず、年寄りがつききりで手順を教えたりしているのを目にします。私の方がよっぽど詳しいくらいです。ましてや結婚式は変化が大きいです。

こうやって伝統というものは、徐々に“駆逐”されてゆくのでしょうか?よほど合理的な風習ならば、おのずと残ってゆくでしょうが、畑の牛馬が耕運機に変わり、辛い水汲みも給水車が代行してくれるようになり、出稼ぎでためたお金で競って高級車を購入し、100円の駄菓子すらキャッシュレスの時代に至っては、伝統よりも金儲けの方が大事になってゆくというのもある意味当然のことでしょう。金さえあれば何でも手に入るということを知ってしまった村人たちは、もうかつての暮らしに戻ることはできないと思います。もちろん、私たちもかつてたどった道です。